みならいの放浪記 1999 弥生・第2回
〜熟睡の邪魔と反動〜

←第1回 〜出発するまで〜 へ
↑紀行文倉庫(その1)へ


家を出た私は寝屋川市19:49の急行に乗り,丹波橋で普通に乗り換え,東福寺からまたJR奈良線で京都に20:43着。東海道線のホームに行くと,20:45の新快速は3分ほど遅れていて,充分間に合うタイミングであった。しかしながら,草津行きなので見送って,予定通り21:00の新快速に乗る。

米原では2分間の乗り換えでせわしないが,乗り継ぐ電車はホームの向かい側に停まっている。しかし,この列車には「ムーンライトながら」乗り継ぎの人が多数乗っており,しかも8両から4両に乗り移るものだから血みどろの座席争奪戦が繰り広げられる。どうせ大垣まで30分ほどなのだし,「きみたちはまぬけだー!」と心の中で叫びながら立っていることにする。

22:26に大垣に着き,23:08発の「ムーンライトながら」に乗り継ぐ。運悪く車掌はすぐには回ってこなかった。この列車には車掌が3人くらい乗っていて,ふつうは大垣を出てすぐ車内改札に来るものなのだが,職務怠慢な車掌は「今回っても,どうせ名古屋や金山からまた客が乗ってきて回らなければいけないから,あとでまとめて回ろう」と考えて来ないのである。これにより,1時間ほど睡眠時間が短くなってしまう。車内改札が来るまでは熟睡できない性分なもんで。

とにかく,24時頃車掌が来て,やっと熟睡体勢に入る。

がしかーし。

時計を見ると2時過ぎ。草木も眠る丑三つ時。大きな笑い声で目が覚めた。まだ全車指定席だというのに,デッキに若者が座り込んでいる。声を聞くに,日本人と外国人がいて,片言の日本語とカタコトのエイゴで盛り上がっているらしい。無性に腹が立ってきて眠気がどこかに行ってしまった。窓側に座っていたものだから,通路に出るには横に寝ているおばさんの足を越えなければいけない。それでも意を決して通路に出,車掌室まではるばる足を運んだら,「もうすぐ富士なので富士を過ぎたら行きます」とぞのたまふ。

んでもって,お約束。その集団は富士で降りていった。どうやら静岡あたりで乗ってきたらしい。それからやっと安眠が訪れたのだが,所詮この列車は4:42には東京に着くわけだから,このロスはかなり後まで引きずることになる。

定刻に東京着。長いエスカレーターを上って中央線ホームに移動。始発は4分前に出ており,次は4:58の各駅停車高尾行きである。立川,拝島で乗り換えて6:44武蔵五日市着。実は五日市線に乗ったことがなかったので来てみただけである。実は都会の駅を想像していて,駅前で朝食でも,と考えていたけれど,ド田舎で登山客を乗せたバスが発着するようなところであった。駅から少し離れたところにコンビニがポツンと1軒あったのだが,7時から営業なのであきらめる。いや,コンビニで食料を買ったとしてどこで食べるというのか。かなり冷え込んでいるし,電車はロングシートなのだから。

結局拝島まで折り返し,駅前のロッテリアに入った。この店も営業が始まってすぐで客は少なく,ハンバーガーはほぼ注文生産状態。ただし,ポテトは揚げてあった。

八高線で八王子に出て,横浜線で橋本へ,そして相模線に初乗り。終点の茅ヶ崎まで乗り通そうかと思っていたのだが,「はらたいま」という変な名前の駅にひかれて降りてみる。蛇足ながら漢字では「原当麻」と書く。原当麻からはうとうとしながら茅ヶ崎まで過ごし,さらに東海道線に乗り換えてなんとか席を確保し,熟睡しているうちに東京着。これでお昼寝タイムは終了。当初予定ではこれだけ寝れば万全の体調になるはずだったが,予定外のロスのためまだかなり眠い。

山手線で品川に出て「品川丼」を探す。これは SWA@東大 さんの日記に以前出てきたものなのだが,安くてボリュームもあるという評価だったので一度食べてみようと思っていたもの。

品川丼は,立ち食いそば屋の一部で販売されていることがわかった。品川ほどの大駅になるとそば屋は5軒以上あるのだが,場所によって販売しているところとしていないところがある。その理由はよくわからない。そのうちの1軒に入って,品川丼を頼む。丼一面のゲソ入りかき揚げが載った丼である。漬物と汁物がついて400円。確かにボリュームはあるけれど,かき揚げを関東風の濃いダシにたっぷりつけるものだから辛かった。5段階評価の3。

また山手線に乗って,目黒へ向かう。友達が集まる会場は目黒さつき会館というところなのだが,目の前の線路脇に花が供えてある。そう,みなさんは覚えているだろうか? 保線作業中の5名が臨時回送列車に轢かれて亡くなったあの事件(もしくは事故)を。その現場なのである。鉄道好きの一同合掌。

すべてが終わったのは21時前であった。ほぼ全員で目黒駅前のマクドナルドになだれ込み夕食。座り込んでから今日の食事は貧相だったなぁと思うみならいであった。

その後,新宿へ移動し,西武新宿から西武線で帰るという友人を見送る。新宿と西武新宿はかなり離れていて,急ぎ足で戻ってくるとホームをなんか見慣れた顔がうろついていた。荷物をほとんど宅急便で送ったからものすごーく軽装の(なにしろ普段大学へ通うときより荷物が少ないという……)卒業旅行中のまっくいんがいたわけだが,こっちの発車を見送ってると「ムーンライトながら」への接続が厳しい(乗れないわけじゃない)ので,各駅停車東京行きに乗る彼女を見送って,自分は「ムーンライトえちご」の客となる。

「ムーンライトえちご」,昔は「ムーンライト」はもともと,東京〜新潟間の夜行バスに対抗すべく誕生した全車指定席の夜行快速列車である。車両自体は古いが,廃車になったグリーン車からゲットしてきた椅子を取りつけてあるので寝心地は非常によろしい。最近「ながら」ばかりだった私には,乗り心地は天国と地獄とも感じられる。一応,「ながら」の車両は昼間は特急として走っているのだが。

座席に荷物を置いて,まずは洗面台で顔を洗う。最近駅の洗面台は遺憾ながらどんどん撤去されており,乗車前に洗面をしようと思ったら人の多いトイレを使うしかない。かといって,乗車後隣の人が眠ってしまってから洗面台に行くのは難しい。それに,さすがに発車前に顔を洗おうなんて人はあまりいないから,空いている。

席に帰ってくると,隣の人が席を代わってほしいという。2人連れだが,バラバラの席しか買えなかったのだ。同じ車両(=禁煙車)なのを確認してOKする。ただし,通路側になった。こういうのはお互い様だからね。ところが,またまた車掌が来ない。今度は6両編成に1人乗務だから仕方ないといえば仕方ない。減光が先に行われ,うとうとしていたら0時30分頃車掌はやって来た。さすがに申し訳なさそうで,反応しない人を無理に起こしたりしない。……けれど,それじゃ車内改札の意味ないんじゃないの?


→第3回 〜新潟・山形雨中行軍〜 へ
↑紀行文倉庫(その1)へ


minarai@nnn.ac