←第2回 〜熟睡の邪魔と反動〜 へ
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ご利用の列車は快速ムーンライトえちご号,新潟回りの村上行きです。新潟到着は5:06,村上到着は6:05です。時は1999年3月15日月曜日,天気雨。まだ暗い午前5時に目を覚ましたみならいは,新潟駅のホームに降り立ったのだった。って,前回は寝たところで終わったんだってば。
越後線の列車はすぐ接続しているが,ここで急いでも仕方がないので駅前に出て食料を調達。県庁所在地の駅前だから吉野屋くらいあって,あたたかい食事にありつけるかな,との期待は見事にはずれる。西口と東口があって,どうも寂れた方に出てしまったらしい。それでも,前の通りまで出て左右を見渡すと,こうこうと灯りを発する建物がある。あれがコンビニに違いない。がしかーし。
改めて周りを見渡すと,もう少し向こうにローソンを発見。無事食料を調達する。駅に戻ると,ちょうど次に乗る電車が入ってきた。新津発新潟行きの列車が20分ほど停まってそのまま越後線柏崎行きになるらしい。ほとんどの客は着くと同時に降りたが,おっさんが1人熟睡している。この様子だと,このまま越後線に行くのだろう。
ボックスシートに腰掛けて,朝食。食べ終わって,発車1分前というときに件のおっさんが突如目を覚まして,周りを見渡してあわてて降りていった。単に熟睡していただけらしい。6:03,出発。
2つめの関屋に着いたのは6:11。今日の最初の目的は東関屋6:17発の新潟交通月潟行きに乗ることである。新潟交通はこの列車が始発なのだ。越後線の始発に乗ったら,淋しい関屋駅で1時間ほど時間を持て余すだろう。下手をすると朝ごはんの手配さえできないかもしれない。実は関屋駅と東関屋駅の位置関係はまったく知らないのだが,すぐ目の前だろう。
という読みは,はずれた。そんな駅などどこにも見えない。しかし,カメラをもったどう見ても目的を同じくする人々が歩いて,もしくは小走りしているから,それに従う。行けども行けども駅は見えてこない。時計を見ながら,あきらめようかと思った(2番列車でもなんとかなる旅程だった)その瞬間,前方にやけに立派な駅が見えた。ダッシュして,なんとか駆け込み乗車に成功。というか,何人かがどたどた走ってきたので待ってくれた,という方が正しいだろう。
ちなみに,この駅には自動券売機もあったし,改札にもおじさんがいて,「雨で申し訳ないねぇ」なんて言ってくださった。新潟交通の鉄道線は1999年4月4日,その使命を終えたけれど,このおじさんの言葉を忘れることはないだろう。名鉄谷汲線など目じゃないほどの乗り心地(もちろん,「悪い」のである。揺れるしうるさいし)を東関屋〜月潟間を往復して堪能し,お別れを言う。
しかし,東関屋に8:20に到着して,関屋8:32の越後線に乗らなければ今日の計画はガラガラと音を立てて崩壊してしまう。あまり感傷に浸っている暇もなく関屋に戻る。
そしたら,関屋駅の駅員(行きはいなかった)が私の持っている赤い18きっぷに興味を示す。稲荷駅で買ったものであるが,どうも新潟あたりでは絶滅したらしく「どこで手にいれたの?」などと聞いてくる。しかし,その時点でもう8:30を過ぎていたので,駅員を振り切ってホームに駆け上る。
あとで友人に聞いた話だが,JR東日本管内では「赤い18きっぷ」は絶滅したらしい。駅員さんも珍しがるはずだわ。
がしかーし。電車が来ない。新潟で3分接続という危ない橋を渡る計画なのに,電車が3分遅れたらシャレにならん。2分遅れでやってきた,通勤・通学客を詰め込んだ列車に乗って,新潟駅でダッシュして,なんとか間に合った。
今度の列車は快速「べにばな2号」米沢行き。都合のいいことに,坂町から乗ったことのない米坂線(かなり本数が少ない)に直通して米沢まで行ってくれる。今回唯一のディーゼルカー。車両は新しくて風情があまりないが,力強く登っていくディーゼルカーもいいもんだ。米沢ではまた4分の接続で山形行きの普通があり,12:23に山形に到着。
的場簡易郵便局を目指す。替所へのバスを聞くと,それは山形駅前からではなく3分ほど歩いた山交ビルから発車するという。どっかで聞いたよう話だ(笑)。山交ビルの「山交」は「山形交通」の略で,これから乗るバスは山形交通バスだ。そこまではいいのだが,その山交ビルのほぼ全体はダイエーとして使われていて,1階の端っこがバスターミナルになっているのだった。
バスは12:58に来るとのことで,しばし休息。乗り込んだバスはこともあろうに,山形駅の方に向かっていく。あれ?と思ったら,駅前の交差点を右折してしまった。ぉぃぉぃ,そこまで来るんやったら駅前バスターミナルに入れよ,こら。
バスは順調に走って,13:16に替所に着いた。このバスは「替所さわやか荘行き」というので,もう少し走るのだろう,と乗っていたら,あと1分ほど走って「さわやか荘」という建物の前で客を下ろし,畑の中をどこかへ驀進して行ってしまった。結局,バス停一つ分歩いて戻り,替所バス停の目の前にある村木沢郵便局に寄った。このへんはSWAさんの考えにわざと逆らっている状態。
そして,小雨の中を的場簡易局目指して歩く。県別都市地図を立ち読みしてだいたいの道は把握していたので,その方角にとことこ歩く。ずっと住宅地(ただし都会の住宅地とは家の大きさが全然違う)だったのだが,20分ほど歩くと店とかが現れた。そこで周りをうろうろしてみると,農協を発見。木の板に筆で「的場簡易郵便局」と書かれた薄汚れた,ほとんど判読不可能な看板が上がっていた。
中は,農協だった。しかし,丁寧にお願いすると快く郵便貯金を扱ってくれた。ふだんは1局100円にしているが,それでは申し訳ないので1000円入金する。でっかいスタンプを出してきて,ガッチャンガッチャンと通帳に日付・入金高を記入していく。いかにも2世代ないし3世代前,というような手段である。現在高の欄に電卓で計算した結果をガッチャンと捺して終わり。
北の替所に戻るか,南の門伝に向かうかしばらく考えたが,バスはどちらも1時間に1本程度しかなく,替所のバスの時間はわかっているから替所に戻ることにする。バスの時間まであと40分ほどあり,普通に歩くと20分で着くことがわかっているからのんびり歩く。
替所に着くと,そこにローソンと丸太小屋があることに気付く。バスの時間まであと15分ある。昼ごはんを食べていなかったのでローソンを選ぼうかと思ったのだが,丸太小屋の方は特産品直売所だとわかったからやっぱりそちらにする。1998年夏の九頭竜湖のように,なにか掘り出し物があるかもしれない。残念ながら飛び付くようなものはなかったけれど,コウタケを土産に買って帰ることにした。だって,いくらうまそうな大福餅でも,5個買ってどうする。
人のよいおばちゃんが,よかったらお茶でも飲んでいき,と勧めてくれたのだけれど,バスの時間がありますので,と辞退してバス停へ。バス停には屋根がなく,傘をさしながらバスを待つ。5分前にはバス停についたけれど,バスは来ない。時間になってもバスは来ない。バスが来たのは定刻5分後。始発はすぐそこ(さわやか荘よりはちょっと遠い)なのに,ルーズなバスである。
田舎のバスでよくあるのは,余裕時間が多めにとってあるので途中で時間調整をする代わりに出発を遅らせる,というものだが,このバスはそれどころでなく,逆に渋滞に巻き込まれて更に遅れていく。山形交通許すまじ。しかも,なぜか帰りは山形駅はおろか,山交ビルにも寄らないのだという。仕方ないので,運転手に聞いて適当なバス停で降りる。どうやらこんなにややこしい経路になっている理由は,山形市中心部には異常なほど一方通行があるかららしい。あとでガイドブックを見たら書いてあった。
15時40分頃,山形中央局に到着。オフライン局の次に待ち受けている試練,再入力に挑む。といっても,自分が頑張るわけじゃなく,局員ががんばるのだが。山形市内にオフライン局があることくらい知っているだろうし,なんといってもここは中央局なんだから楽勝だろう,と思っていたら,窓口のおにいさんは奥へ行って,3人がかりで分厚い本を持ち出してあーでもない,こーでもないとやっている。何も考えずに失敗されるよりはマシ,といえばそうなんだけど,なんだかなぁ。ここで時間をとったせい(と,バスが遅れたせい)で山形駅前郵便局に寄り損ねた。今から思えば,山形に着いてからバスに乗る前の待ち時間に寄っておけばよかったんだよね。
とりあえず,目的を果たしてあとは宿に向かうだけ。以下次回。