←第2回 〜至福(?)の12時間47分(?)〜 へ
↑目次へ
2001年1月5日(金曜日) 23:19. ついに青森駅まで来たが, 感傷に浸っている暇はない. 同じホームの反対側に 23:08 に出発するはずの「はまなす」号が停車しており, 駅員がマイクで「お乗り換えの方はお早く願います」と怒鳴っている.
さて, 本日のお宿の急行「はまなす」号は時刻表によると以下のような編成である:
↑函館方面
機関車
1号車 B寝台
2号車 B寝台
3号車 自由席(指定席になる日があります)
4号車 指定席(カーペットカー)
5号車 指定席(ドリームカー, リクライニングシート)
6号車 指定席(ドリームカー, リクライニングシート)
7号車 自由席
然るに, 私の指定席券は3号車5番C席. そのことに気がついたのは「白鳥」の車内であったのでいかんともしがたい. そして, このように書いてあることからわかるように,
のである. 「白鳥」から乗り継いだ人はかなり多く (というより, 乗っていた人のほとんどが乗り継いだ) 3号車は満員御礼である.
乗り換えに手間取り, 23:25 に発車. すぐに車内改札があったが, あまり眠くなかったし, 青函トンネルに入る瞬間くらい見届けようかと思い, 薄暗い車内でぼーっとしていた.
蟹田で乗務員が交代すれば, 次は中小国. いよいよ, JR北海道の領域に足を踏み入れる. そこからしばらく走り, トンネルをいくつかくぐる. そのうち, いつまで経っても外に出ないトンネルがあったので, どうやらこれが青函トンネルらしい(笑)
という, あまりムードのない状態で海底を目指す. 実は青森を発車してすぐに車内放送で「青函トンネルに入るのは○時○分ごろ, 出るのは○時○分ごろを予定しています」という放送があったのだが, 現在の遅れを考慮しているのかしていないのかさっぱりわからないので哀しかった.
さあ, 寝るかと思ったみならいが浅はかであった. ここは仮にもトンネル,
というものすごい騒音で, 寝つけないのだった.
というわけで, 幸い席が通路側だったので, 車内探検に出かけることに. まず2号車をちらっと覗いたら, 思ったより盛況だった. 3号車は前述のとおり.
4号車はカーペットカー. 名前のとおり, 通路より1段高いところにカーペットが敷き詰めてあり, 毛布をかぶった人たちが枕を並べて眠っている. これで3号車と同じ料金?! 競争率が高いはずだ.
5号車と6号車はドリームカー, という名にふさわしい装備だった. 1人掛けのグリーン車より上等そうなシートが3列並んでいて, ちょうど高速バスのような状態. しかも, 空席が点々と…… 何も考えずに「普通車指定席」を発券すると3号車の方から埋まっていったんだろうなぁ. 悔しいぞ, ここで眠りたいぞ.
7号車は3号車と同じ設備で自由席. ところが, 今日は3号車が指定席になった関係で8号車, 9号車を増結しているのでありました. 自由席車が3両で, ガラガラ.
即座に決断して3号車に戻り, 荷物を全部持って9号車に移動. 1つ1つの座席は傾かなくても, 椅子を回転させて4席占領すれば横になって眠ることができる. 「く」の字型の体勢になるからベッドには負けるが, 占領面積が広いのでドリームカーと比べても遜色ないし, 3号車と比べれば地獄と天国である.
うとうとしているうちに青函トンネルを抜けて念願の北海道上陸. あまり実感はない. さらにしばらく走って, 列車はそろそろと函館駅のホームに滑り込んだ. 確か青森駅を15分遅れで発車したはずなのに, 定時到着. どうやら, 通常ダイヤでは青函トンネルの中は騒音を押さえるためにスピードを落として走っている模様(笑)
函館で電気機関車からディーゼル機関車に付け替え, 進行方向も変わる. というわけで, みならいは2001年1月6日土曜日の午前 1:35 ごろ, 函館駅ホームに記念すべき第1歩を記したのでありました.
1:43 発車, もちろん定時. この先はもともと必死に走るらしいとは「白鳥」車内で一緒だった人の弁. その人に言わせれば, 「はまなす」の札幌到着が遅れそうになったら, 「白鳥」からの接続を取らずに発車してしまうことが多いそうで, ギリギリだった模様.
進む向きが変わったので, 私も寝る向きを変える. これは4席占領しているからできる技で, ドリームカーだったら札幌まで反対向きのまま眠らないといけないはず…… と意味のない優越感に浸るが, もはやその先は覚えていない.
気がついたら「あと10分で終点札幌到着です」の声. あわてて洗面を済ませて, 定刻通り 6:18 に札幌駅のホームに降り立ったのであった.