山陰は鳥取県岩美町網代の集落で, 満腹になってしまった.
なぜ「なってしまった」のか. それは昼食の次の予定が
ことだからである. 私は観光船は好きではないが, なぜか父は大好きで, 予定に組み込まれていた. 曲がりなりにも冬の日本海に小さな船で漕ぎ出す(嘘. 当然モーターはついている)のだから, 揺れるに決まっている.
「山陰松島遊覧株式会社」の船は, 10人ほどの客を乗せて出港した. 船に乗ったらまず壁に張ってある約款などを読むのが習慣の私だが, そこに書いてあった定員には首を傾げた. この広さでそんなに乗れるのか?! まあ, 定員いっぱい乗せることなどないだろうからいいんだけど.
先ほど苦労して歩いたリアス式海岸を海から眺める. 陸から海を眺めるのもよいが, 海から海岸を眺めるのもいいものだ. 崖から海を眺めても, 崖自体は見えないんだよね.
なんとか誰も酔わずに港まで戻り, バスに乗って鳥取砂丘へ向かうことにする. 鳥取駅〜砂丘〜岩美駅と走るバスがこの辺りを通るらしい, ということまではわかっているのだが, 重大な問題があるのである.
網代の集落は鳥取駅〜岩美駅を結ぶ国道から外れていて, 「網代経由」というバスは往復するらしい. その分岐点あたりに橋がかかっていて, 「網代大橋」なるバス停が船着き場の目の前にあるのだ. がしかーし.
のである. それだけならまだしも, 橋の反対側, 5分ほど歩いたところに「公民館前」というバス停があって, ちゃんと時刻も書いてあるけど「網代経由」「大橋経由」という表記.
となると, もうすぐ来る「網代経由」のバスは大橋を経由しないようなので, さっきのバス停で待っていたら路頭に迷うことになるので, 仕方なく船着き場で待っていた家族を呼びに行く. ツアコンはつらいよ.
やってきたバスは公民館前で我々を乗せ, さっき昼食をとった店の前を通りすぎて, 網代の集落の中心部でUターンして,
のである. それなら「大橋経由」「網代・大橋経由」と書いておけ!と言いたくなったけれど, さすがにそれはやめておく. もちろん, 運賃は船着き場で乗るよりも少々高かった.
バスを砂丘東口で降りて, 砂丘を目指す. といっても普通の観光地とは違い, 相手はでかい. とりあえず, 手近な柵の切れ目から防砂林を抜け, 砂丘に一歩を記す.
これで「鳥取砂丘に来た」ことにはなるのだが, あまりにあっけない. 砂丘は目の前一面に広がっているので, とりあえず前に進むことにする.
やがて前方にオアシス, そして砂の崖が見えてきた. なにしろ砂丘の中には名所案内板の類がないし, 手元のガイドブックの地図と突き合わせてもどこがどこだかよくわからないのだが, どうやら「馬背」と呼ばれているところらしい.
オアシスといったって申し訳程度に雨水が溜まっている汚いもので, なんかの物語の挿し絵にあったような「その一帯だけ緑が生い茂って, 旅人が生き返る」なんてものではない.
いったいどんな期待をしてきたんや? ここは日本の鳥取県やっちゅうねん.
それはそうと, 馬背である. 崖の両端はなだらかになっていて, そこを豆粒のような人がぞろぞろ歩いているところを見ると, けっこう遠いようだ. 人工物が何もないので大きさの見当が狂っているが, やっぱり砂丘は大きいらしい. よく見ると
それを見た私と妹は, 即座に崖をよじ登ることに決定. 崖下へ向かったのでありました. なんと物好きな兄妹でありましょうか. がしかーし.
のでありました. 前言撤回. なんと物好きな家族でありましょうか.
崖下に着いて見上げると, かなりの傾斜である. 推定斜度60度. (注: 脚立を思い浮かべていただければ, 想像がつくのではないでしょうか. 60度でも十分迫力のある崖で, 岩の崖なら登れないでしょう.) 岩の崖を登るには命綱をつけて, 3点支持 (両手両足の4点のうち, 必ず3点は安定させておくこと) でもしなければいけないのだろうが, 何しろ相手は砂の崖. 足を蹴り込めば砂にめり込んで足場が出来るから楽なものだ.
というわけで, 3点支持どころか1点支持くらいで歩き始めた. 荷物はすべてリュックサックに入っているので, 手2本足2本をがむしゃらにバタバタさせれば, だんだん上に進んでいくのである. ただし, 手や足で作った足場は, すぐにずぶずぶと沈んでいくので, 下手に休むとずるずる下がっていくことになる.
となると, もう体力勝負. 溺れる者は藁をも掴むという格言のごとく, 両手両足をばたばたさせていると, いつのまにか崖の上に着いた. というのが実感でございます. 念のために言っておきますが, ここは鳥取砂丘, 誰が管理しているわけでもないのでこんなことをやっても怒りに来る人はいません.
遅れることしばらくして, 崖上に家族4名勢ぞろい. 何はともあれ, 座り込んで靴の中に入った砂をバタバタと払い落とす. ここまで来ると春の日本海が見える. 波も静かで, 水平線まで見通せるのは日頃の行いの賜物であろう.
ひとしきり休憩したのち, 今夜の宿を目指すことにする. 今夜の宿は砂丘のすぐ近くにある国民宿舎ニュー砂丘荘, ということになっている.
ところが, ガイドブックによって「砂丘荘」「ニュー砂丘荘」と表記はまちまちなのが気にかかるところ. 私がガイドブックの地図を見て「砂丘荘はあの建物」と指さした建物(なにしろ砂しかないから見通しはよい. 歩いていくとなると15分以上かかるのだが)と父が「パンフレットに描いてあった建物はあれ」と指さす建物は少し離れている.
とはいえ, 大筋では方角が一致したので, そちらに向かって歩いていく. 砂丘の中心部(何が中心か, と言われると困るが, 人が一番多いところ)から離れていくにつれて, 足跡が減り, 風紋が見られるようになってくる.
風紋というのは, 砂丘に風が吹いたときにできる規則的な筋で, 非常に美しい. 中心部では人の足跡だらけで, 風紋など見えない状態になっていたことがやっとわかる. 砂丘といっても常になだらかというわけではなく, 急な坂もある. 道などないから, 信じる方角にまっすぐ歩いていくのだが, 気が付くと目の前にさっきよじ登ったような崖があったりする. 登りの崖は遠くからでもわかるが, 下りの崖は近づかないとわからない.
とはいえ, ずりずりと重力に任せてしまえば(そして, せっかくきれいにした靴の中にまた砂が入るのを厭わなければ)崖を下るのは造作もないことで, 我々4名は少し方角を違えながらも砂丘荘の方に進んでいたのであった.
どうでもいいことだが, 父と妹は父が指さした建物の方角へ, 母と私は私が指さした建物の方角へ進んでいるのである.
15分以上歩いて, やっとこさ砂丘が尽きてきた. 砂丘の果てには防砂林があり, 防砂林の切れ目はそう多くないので4人揃って車道に上がった. もう一度靴の中を掃除したけれども, 靴下の目の中に細かい砂が入ってざりざりいうのはもはやどうしようもなかった.
ここまで来れば, さすがに砂丘荘の謎も解ける. 私が指さしていたのは砂丘荘, 父が指さしていたのはニュー砂丘荘. つまり2人とも間違えていなかったのだが, しばらく前にニュー砂丘荘ができたので元祖砂丘荘は営業を終了していたのである. まだ取り壊されていないだけなのだった. 私が手にしていたガイドブックが少々古いわけね.
というわけでニュー砂丘荘にチェックインしたところで次回に続く.
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