みならいの放浪記 1999 葉月・第7回
〜至福の一夜〜

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それはそもそも,緑色の車の運転手のひとことから始まった。

「出張で平岩に行ったとき,大糸線の列車が見える露天風呂に浸かった」

列車が見える露天風呂。いやになるほど甘い響きである。少なくとも,私はほかにそんな露天風呂を知らない。大糸線に行くのなら,ぜひ泊まってみたいと思っていたわけだ。

図書館でJTBの宿泊情報を調べてみると,平岩駅周辺には3軒の旅館がある。とりあえずそれだけ調べて家を出た。で,緑色の車の運転手に話を聞くと

「いや〜,あそこはよかった。けれど。」

何だろう。

「そのときは知り合いの計らいでビジネスユースで泊めてもらったけど,普通に泊まると高いぞ」

よく考えたら,いつも持ち歩いているJTBの大形時刻表の巻末にもホテルなどの情報が載っている。開いてみると,彼が7000円だったかで泊まった旅館は1泊2食12000円。露天風呂を売りにしているもう一つの旅館は「9000円〜」。という次第で,私は小岩でみんなが盛り上がっている最中に「9000円〜」の旅館に電話をかけたのである。ふつうは1人1室を嫌う旅館は多いし,割増料金を取られることもあるけれどここは「何人でも10000円」とのことであった。たぶん夏休み料金か,それでなければ値上げしたのだろう。まあ,たまにはこんな贅沢もいいか。と考えて今日はこの旅館で泊まる。

この旅館は平岩駅から徒歩5分程度のところにあり,到着前に車窓から眺めることができた。彼の泊まった旅館の隣である。がしかーし。

駅前に迎えの車が来ていた。

そして,駅前には平岩簡易郵便局が建っていた。これが,明日の予定を大きく左右することになる。

迎えの車は,ちょうどやってきたバスから降りてきたおばさん4人組と私を乗せて駅前から一路旅館へと走る。とはいえ,歩いて5分の距離だから車だったら1分とかからない。こんな距離なら迎えの車などいらない,と私は思うのだが……

フロント,というよりは帳場と呼んだ方がぴったりくるところでチェックインを済ませて,通された部屋は8帖間。窓を開ければ下には姫川,そして鉄橋を渡る大糸線の線路。至福の環境である。

時刻表を広げて策を練る。列車が通る時間に合わせて風呂に入らないと「大糸線の線路が見える露天風呂」になっては価値が半減してしまう。その結果,まず風呂に入って 17:27 と 18:00 の列車を眺め,18:46 ごろに平岩駅ですれ違う2本は部屋で食事をしながら眺め,19:56 のは川岸に散歩にでも出かけて眺め,もう一度風呂に入って 21:16 のと 21:30 の終列車を眺める,という計画を立てた。なにしろ,今日通る列車はあとこれだけしかないもので……

まず風呂に行こうとして迷う。この旅館は川岸の崖に建っていて,入り口があったのは3階である。露天風呂は1階だが,こういう旅館ではよくある話だが,建て増しをしたので何が何だかよくわからない構造になっている。しかも,風呂への階段を降りていくと迎えの車を運転していたおじさんが後ろからついてくる。

館内を歩いてわかったことは,どうやら今夜はかなり客が少ないらしい。おじさんが後ろからついてきたのは,風呂場に電気をつけるためだった。1階でスリッパから下駄(長靴も置いてあった)に履き替えて外に出て,階段を下って河原を少し歩くと男女別の簡易脱衣場があり,その先に男女別の露天風呂があった。もちろんまだ明るいのだが,明るいうちに来ていてよかった。暗くなってから初めて露天風呂に行こうとしたら,路頭に迷うこと間違いなし,である。

露天風呂はもちろん温泉で,広い湯船にひとりきり。ゆったりと風呂を楽しんだが,誤算がひとつ。

温泉が少し熱くて,長く浸かっているとのぼせる。

完全に陸に上がると,いくら8月とはいえ寒いので,ふちの岩に腰掛けて足だけ温泉の中に入れることにしたのだが,またまた誤算。

アブが飛んでいる。

実は私,アブとはめっぽう相性が悪い。特に大自然の中にいるアブ。もう10年ほども前に滋賀県の山の中で刺された跡が今でも古傷になっているくらいだ。とりあえず1匹は水の中にたたき落として水死させたのだが(冥福を祈る)不覚,1匹に刺された。それも,刺された個所は

内股。

さすがにもう跡は残っていないが,帰ってきてしばらくの間は痒くて困った。

えー,話を戻すことにしよう。遠くの方から汽笛が聞こえ,定刻に列車がやってきた。河原の高さにある露天風呂から見上げた鉄橋の上をたった一両のディーゼルカーがゴトゴトと走っていくのは,なんと絵になる光景だろう。絵にはしなかったけど。感動を覚えながら,また浸かったり陸に上がったりアブを水死させたりしながら(もちろん亡骸はすくって湯船の外に捨てている)次の列車を待つ。その間,ほかに客が来る気配はない。至福の時。

次の列車を見送って,部屋に戻ると夕食の膳がしつらえてあった。いろいろと並んだおかずに,小さなお櫃に入ったご飯はお茶碗3膳分。食べきれないかと心配したが,1時間以上かけてのんびりと食べていたら,いつの間にかごはんも含めてすべて食べ尽くしてしまった。ま,アルコールをまったく飲まないから,というのもあるのだが。部屋で寛ぎ,のんびり食事をしている窓の外,鉄橋を通りすぎるたった一両のディーゼルカー。至福の時。

散歩に出かける。とはいえ,あたりは真っ暗だから行ける範囲なんて限られているのだが,まず駅を観察。なぜ?と問うなかれ。ふだんは降りたらまず駅を観察するのだけど,今日は問答無用でワゴン車に積み込まれたのであった。なにしろ,発車する列車を見送ってからトコトコと改札口の方へ歩いていったら 「○○にお泊まりの方はどなたですかぁ,迎えの車が来てますよぉ」 と駅長様がのたまうのである。

それから,河原(といってもちゃんと護岸ができているのでその上)で夜風に吹かれていると,「ぷわん」と音を鳴らして鉄橋を通りすぎるたった一両のディーゼルカー。いい感じである。そりゃあ,小淵沢のユースホステルも食堂から線路が見えたけれど,あそこは最新型のキハ110が坂を高速で走り去るだけ,ここは最古参に近いキハ52が駅の近くでそろそろと鉄橋を渡る。いい。

部屋に戻るとお膳がなくなっていて,布団が敷かれていた。当初の予定どおり風呂に入ることにする。露天風呂には体を洗う設備がなかったので,今度はまず大浴場へ行く。ここでも自分で電気をつけて入る。本当にお客は少ないようだ。迎えの車に乗っていたおばさん4人組(どうやら1日4本のバスで1時間余り,蓮華温泉という秘境に行っていたらしい)とはあれ以来会っていないが,彼女らと会っていなければ貸し切りか,と疑っているような事態である。

大浴場も川側に大きな窓があり,そこから鉄橋が見えた。ここで 21:16 に到着する糸魚川からの終列車を迎える。そしてまたゲタを履いて露天風呂まで移動して 21:30 に糸魚川へ下っていく列車を見送る。これで今日の大糸線の営業は終了。21:16 に到着した糸魚川からの終列車は平岩駅で夜を明かすはずである。ちなみに,アブが飛ぶのは昼間から夕方らしく,夜になると被害はなかった。いや,ひょっとすると私が根絶したのかもしれない(笑)

もう温泉を堪能したので部屋に戻って,明日の予定を考える。ついでに帳場の横の公衆電話からまっくいんに電話する……と,ぷわんと警笛一発,平岩駅で夜を明かすと思い込んでいたディーゼルカーが糸魚川へと下っていった。8帖間の真ん中に敷かれたふかふかのふとんでぐっすり眠る。


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