みならいの放浪記 1999 葉月・第6回
〜爆発危険〜

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1999年8月29日月曜日,10:20 に越後湯沢に到着。駅構内には「ぽんしゅ館」というものがあり,新潟のお酒を売っていたり,利き酒コーナーがあったりするが,館内(入るだけならタダ,というより土産物売場の雰囲気)に酔っぱらった人を模した蝋人形があり,「いっしょに記念撮影してください」とか書いてあってかなり笑える。

10:37 発の北越急行に乗り換え。といっても,六日町まではJR線を走る。発車までもう少し時間があるので運転台を覗き込んだら,運転士さんと,横に添乗している保線担当のおにいさんの話を聞けた。まつだいで降りてみようと思っている,というとおにいさん曰く「松代は電車の駅と道の駅が一緒になっている珍しい駅ですよ」

(注)道の駅:ひとことでいえば,一般道に設けられたサービスエリア。田舎では村起こしの一環として力を入れているところが多く,トイレと食堂と特産品販売所,それに観光案内所がまとまっているのが標準パターン。

「でも,確か道の駅の食堂は今日は社員研修で休みだったような。」

こういう情報を得られるのはありがたい。JRではまずないことだろう。隣の十日町で降りて歩くという選択肢も一応あるのだけれど,十日町はJR只見線でも行ける街。せっかくだから北越急行でないと行けない松代で降りることにする。ちなみに,おにいさんからは北越急行の時刻表を,運転士さんからは名所案内のパンフレットを頂いた。

11:33 まつだい着。(地名は松代だが,駅名はひらがな)駅舎内の売店は開いていたけれど,確かに食堂の方は「本日社員研修のため休業」と張り紙がしてある。この駅には開通までの歴史を書いたパネルと写真が展示してあった。

そもそもこの線は国鉄北越北線となるべく建設が開始されたのだが,国鉄再建法案のおかげで工事中断,それでも「第3セクターが運営をするなら国費で完成させる」という提案に呼応してやっと出来上がった路線である。沿線は日本有数の豪雪地帯であり,路線はトンネルと高架橋の連続で踏切はなく,160キロ運転も可能なように設計されたと聞くが,その代わり建設費はべらぼうに高いし,工事自体も難航。パネル展示によれば,全長 9.1 キロの鍋立山トンネルを掘っていると,地中からメタンガスが出てきたという!

その代わり,冬は国道も雪のため不通になっていたような地域が確実な交通手段に恵まれるし,東京から上越新幹線で越後湯沢,そしてこの北越本線を経由して直江津に出るのが東京から北陸へ行く最短経路となったから恩恵もはかりしれない。

近くに松代郵便局があったので貯金をして風景印をもらうが,近くにほかに食堂などは見当たらない。当初はここで昼ごはんのあと 13:10 発の直江津行きに乗るつもりだったけれど,来る途中に気になった駅があったので戻ることにする。12:08 発の列車でおよそ15分,美佐島駅に到着。

美佐島駅もまたトンネルの中にあった。今度は土合駅とはだいぶん雰囲気が違う。まず,ホームの出口には分厚い金属製のドアがあって

「緑色のランプが点灯している間にボタンを押してドアを開けてください」

というよくわからない掲示がしてある。その外にもう一枚,同じような金属製のドアがあって

「ホーム側のドアが開いている間はこのドアは開きません」

と書いてある。そのほかの掲示を丹念に読んでいって,やっとこの仕組みがわかった。トンネル内を高速で(特急はくたか号は確か140キロを出す!)列車が通過するとものすごい風が起こり,気圧も変わる。その影響を地上に及ぼさないために常にどちらかのドアは閉じているようになっているのだ。さらに,危険防止のため,ホーム側のドアは普通電車がホームに停まっている間(正確には停車してから2分間)しか開閉しないようになっている。それが「緑色のランプが点灯している間」なのである。なお,万が一出られなくなったときのために,指令所へ連絡するインターホンが備え付けられていた。

さて,2枚の金属のドアを抜けると,そこは階段だった。ただし,1階から3階まで一気に上る程度の長さしかない。つまり,美佐島駅はトンネルの中で地表にできるだけ近い部分を選んで作られているわけである。2枚のドアの間にも一応待合室はあったが,地上には立派な木造の駅舎があった。ただし,待合室というよりは和室のような感じの部屋は,地元の学生たちが勉強会に使っているようで入るのは遠慮した。

周りを見渡すと,集落は少し離れたところにあるようで両脇は山,その間の平地には高い米(になることを希望している稲)が植わっていた。30分ほどの散策ののち,12:53 発の直江津行きでこの駅を後にした。2枚のドアの間の待合室には「お客様の声にお答えします」という紙が張ってあり,その提案によって設置された除湿器が動いていた。声のポストも置いてあったので時刻表とパンフレットのお礼を記してきたことはいうまでもあるまい。

直江津駅 13:43 着。次の列車まで50分ほど時間があるので,駅近くのラーメン屋でマーボーラーメンの軽い昼食を済ませ,土産物屋で「浪花屋の柿の種」を買う。浪花屋は長岡の和菓子屋だが「元祖柿の種」を謳っており,確かにおいしい。

ただし,帰ったときの家族の反応は「柿ピーのピーナッツのありがたみがよくわかった」とのこと。そんなに辛いかなぁ?
大辛柿の種,という商品もあるんだけど。
柿の種をチョコレートコーティングした「チョコ柿」というのもあるけど,私は苦手。チョコ柿がおいしいという人もいる。

直江津からはJR西日本管内。なんかもう大阪に帰ったような気になってしまう。これは九州の帰りに下関駅のJR西日本仕様の駅名標を見たときもそうなんだけど。

糸魚川で大糸線に乗り換える。大糸線は姫川という川に沿って敷設されているのだが,姫川というのは大層な暴れ川で,雨が降るとすぐ氾濫を起こす。しばらく前にも線路が流され,何年も不通になったことがあった。不通になると代行バスが出るのが通例ではあるけれど,並行する国道も同じく被害に遭うことが多いので大変な地域である。

そう思って車窓を眺めていると,確かに谷は深く,あちこちに崖崩れの痕跡があったり,真新しい橋が架かっていたりする。今日は水は澄んできれいだ。ちなみに姫川は日本有数のヒスイの産地でもある。河原に下りれば原石が転がっている(こともある)という話だ。ちなみに大糸線を走るディーゼルカーは,もう全国でも珍しくなったキハ52という古い車両で,動き出すときも「どっこらしょ」と言いながらそろそろと加速していく感じである。旅情満点ではあるが,遅い。しかし,そんな文句を言う気にはならない険しい道である。

16:52 に平岩駅に到着。今日は私としては非常に珍しい類の贅沢をする予定なのだが,キリがいいので今回はここでおしまい。


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