みならいの放浪記 1999 葉月・第4回
〜イヌワシの生涯(笑)〜

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前回までのあらすじ

1999年8月27日16時過ぎ,長野県は南牧村歴史民俗資料館に佇む若者約1名。その前にある解説文曰く,昭和16年9月5日,板橋の吉沢与四郎氏住宅より東20メートルの草原にてネコ(体重 4kg 余り)と格闘していたというイヌワシの剥製の前で,彼の運命を独り思う。こんな中途半端なところで逃げるように連載を中断していた作者に鉄拳。

この格闘,もちろんネコが負け,イヌワシが勝った。そこで,イヌワシは本日の食事を始めたわけだが,いかんせんネコが太り過ぎであった。そう,イヌワシは食べすぎたのだ。

イヌワシやアホウドリのような大形の鳥は,飛行機と同じく助走をしないと大空へ飛び立つことは困難であります。しかし,飛行機と違う点は,イヌワシもアホウドリも走るのが苦手なんだ。アホウドリの場合は,たいてい坂の上から下に向かってどたどた勢いをつけて走り,ふわっと浮き上がる。しかし哀しいかな,イヌワシくんがいるのは平らな草原,しかもその日は晴天かつ無風で,どうがんばっても身重のイヌワシくんは飛び立てない。

そうこうしているうちに,二又棒で押えられ,生け捕りされることとなったのである。今日の教訓:

何人も食べすぎに注意。

イヌワシは「何人(なんにん,と読んじゃだめよ)」に含まれるのか?!

さて,野辺山 16:52 発の列車で小淵沢に戻る。実はこの列車は今日の宿のすぐそばを通りすぎるのだが,駅がないからどうしようもない。指をくわえて(気分だけ。実際にはやってない)見送るしかないのである。そして,小淵沢の駅から,出かける前に山梨県都市地図を本屋で立ち読みして覚えた道順を早歩きで25分。今夜の宿,八ヶ岳ポニーユースホステルに到着した。

このユースホステルはペンションがぽつぽつと立ち並ぶ中にあり,もちろん窓の外には小海線の線路。しかも,いまや珍しくなった観光案内のミーティングをするとのこと。ただ,夏休み期間は夕食の提供はない。徒歩20分くらいのところに町が主体の第3セクターが経営する温泉があって,そこの食堂のほうが安いとか。

そこで,有志で夕食と温泉に出かけたのだが,ペアレントさんが懐中電灯を貸してくれました。行きは夕暮れどきだからまだしも,道路に街灯はないので月明かりとたまに通る車のヘッドライトだけを頼りに帰るのはいかにも不安であります。あ,女性の1人歩きは(2人以上でも)絶対にお勧めできない道だけど,そこはユースホステルの強み,同宿の男性と一緒に歩くから心配するには及ばない。

まず食堂で夕食。800円程度で満腹になったし,ペアレントさんの講釈によると近所の主婦の方々が自分達でこだわりの野菜を作ってそれを使い,薬膳の考えも取り入れた健康に配慮した食事らしい。ごはんにはキビが混じっているとのことで,よーく見るとカレーライスを頼んだ人もキビごはんの上に野菜たっぷりのルーがかかっていた。

それから温泉。その名もスパティオ小淵沢。かなり混んでいる。どうやら地元の人もかなり多く来ている模様。大人400円だけど,回数券を買えば1回あたり330円ほどになるようだ。

宿に帰ってミーティング。周辺の名所などを案内していただく。ホステラーが見つけてきたスポットには必ずペアレントさんも行ってみて,確かにいいと思ったところを次のホステラーに紹介する。単純なことだけど,実行するのはかなり難しいことをここのペアレントさんはやっています。

ちなみにベッドが4つ置いてある部屋が3部屋。で公称定員15名(なんか計算が合わないような気がする)のところ,今日のお泊まりは11名(男4名,女7名)でした。小さな小さなユースホステルだけど,いっぺんでお気に入りになりました。

次の朝はペアレントさんが珍しいというほどの快晴で,恒例の朝の散歩に出かけました。ちゃんとイラスト入り散歩コース図まで用意されているという念の入れようで,雄大な眺めを堪能して,朝ごはんをいただいて,小淵沢駅まで20分。あ,駅からユースホステルへはかなり坂を登るので25分かかりますが,下りは20分でした。

これはせっかちな関西人の場合ですから,鵜呑みにしてはいけませんよ。

小淵沢 8:59 発の甲府行き,甲府 9:38 の大月行,大月 10:28 発の中央特快東京行き(これはオレンジ色のロングシート車だった。東京行きだから仕方ないけど)と乗り継いで立川 11:32。ここで多摩都市モノレールに乗り換えて上北台駅に 12:00 に到着。

ここに友人夫妻の車が迎えに来ていて,今日はこれからドライブの予定。今日の(というか一昨日からの)日程はすべてこのお誘いから決まったのだった。ユースホステルの観光案内で聞いたところには行けずじまいだったわけで,近いうちにリベンジに来なければ。

それはいいのだけれど,

見慣れた緑色の車がいない。

困った。路頭に迷ってしまった。
こういう時は,友人宅に電話しよう。

出ない。いつも留守電になっているのに,その留守電が「ただいま電話に出られません」というだけで用件を録音してくれない。困った。何か緊急事態があったに違いない。私は携帯電話なんて上等なものを持っていないから,そういう場合には連絡する手段は何もないんだ。

あ,実家に電話が入っているかも。というわけで,実家に電話。誰も出ない。実家は留守電機能はあるものの,誰もセットしないからむなしくベルが鳴るだけ。あ,留守電が機能していたところで,私が何の用件を吹き込むのか!

あ,そうだ。車の持ち主は携帯を持っていたんだっけ。それを早く思い出せよ。かけてみる。留守電サービスだ。

途方に暮れて佇む男1人。客観的に見るとかなり怪しい。成田空港でこうやって途方に暮れて佇んでいてもあんまり怪しくないと思うけど,ここはあくまで多摩都市モノレールの終点で,たまにバスが来る程度で人通りは少ない。車通りは多いけど。

そうこうしていると,友人の奥さんの方が息をきらして現れる。何事かと思ったけれど,実は午前中仕事をしていて,仕事場から走ってきたとのこと。それですべての謎が解けた。

留守電が出ないは,テープが最後まで巻き取られたから。毎日再生したあと巻き戻すとテープの前の方だけが伸びてしまうので,巻き戻さずにつづきに録音していく主義なんだそうな。その結果,たまたま最後になったというわけ。

で,車(と旦那さん)は今朝から練馬に行っていて,たぶん道が渋滞して遅れているのだろう,と。最後に携帯電話は,この間から行方不明なんだそうな。こんなとき「携帯に電話すると,家のどっかで呼び出し音が聞こえる」というのはよくある話だけど,携帯の電源が切ってあって問答無用で留守番電話サービスにつながってしまうから,その手は使えない。地道に捜索している途中。家じゅう探しても出てこないとか。

しばらくして見慣れた緑色の車が到着。やっぱり渋滞に巻き込まれていたとのこと。まずはお昼ごはん,何にするかと相談したあげく,結局は

CoCo壱番屋のカレー。

ところが実は私はこのチェーン店に入ったことがなくて(というより,ほとんど外でカレーを食べることがない)勝手を知らなかったのだが,なかなかおもしろい店だった。ちなみに3人が注文したのは「オムレツカレーウズラの卵フライ載せ」「野菜カレーリンゴの甘煮載せ,ルー甘口」「牛モツカレーゆで卵載せ」。オムレツが甘いと文句を言っている人約1名。

それから,快適なドライブを楽しみました。奥多摩から峠を越えて塩山へ。え?塩山はさっき中央線で通ったじゃないかって? まあ,そういう説もある。気にしない,ということで。帰りは秩父へ抜けて,秩父鉄道に沿って走る。そうすれば,もちろん気になるのは電車が来ないかな? ということ。踏み切りの前では一旦停止して,中に入った瞬間,

かーんかーんかーんかーん。

となると,我々のとるべき行動はただ一つ。

踏み切りを越えたところで車を止めて,3人で振り返る。

周りから見ると怪しい車としか思えませんな。でもほかの人に迷惑はかけていないから念のため。

途中のちょっと本格的そうな蕎麦屋で夕食をとって,帰宅。その途中,多摩湖畔から西武遊園地で打ち上げられる花火を見る。本当はいったん帰宅して歩いて多摩湖畔へ行くつもりだったのだけど,時間の関係で車の中から(それも駐車するところなんかないから,走りながら!)の見物となった。

もちろんその夜は,延々と会話がつづいてなかなか眠れなかったことは言うまでもあるまい。第5回につづく。

《あとがき》

その後,携帯電話は無事発見されたそうです。緑色の車の座席の下から。


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