みならいの放浪記 1999 葉月・第1回
〜和歌山から大垣まで〜

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お盆が過ぎた頃,私の手元には青春18きっぷが3日分あった。これでどこかへ行く予定はあったものの,どこへ行くかはまったく考えていなかった。

そんなとき,8月29日に東京で友達が集まる例会があるという。ゲーム系クイズ大会 (対義語は「難問系クイズ大会」らしい。後者はとにかく難しい問題が出まくるが,前者はクイズをだしにしてみんなで遊ぶのである) だという。というわけで,それに行くことにした。

そこへなぜか青春18きっぷがあと2日分現れた。もともと「1日分余るから引き取ってくれない?」と知り合いに言われてたのをすっかり忘れていて,しかも届いてみれば都合により2日分余っているというではないか。これで合計5日分。たっぷり旅ができそうである。

次に,「前日の土曜日の午後ドライブしない?」と友人に誘われたのでそれも決定。土曜日の午後に東京は立川あたりに着く方向で検討。ま,どうなったかはおいおい明らかになります。最終プランでは5泊6日の旅行となったけれど,どうやら「行程の半ばで洗濯する」のが難しそうな情勢になってきたので,大きめのボストンバッグを出してきて6日分の下着等,多めに着替えを詰め込んだ。出発の前夜……というか当日午前3時頃まで,旅行から帰ってきてすぐ必要なバイト先の塾のプリントを作っていたのだが,結局完成せず,あきらめてノートパソコンも荷物に加わったのである。

1999年8月26日木曜日,晴れ。朝9時過ぎに家を出た私とリュックサックとボストンバッグは,京阪電車で京橋まで出て青春18きっぷにスタンプを受け,関空快速関西空港行き・紀州路快速和歌山行きに乗り込み,和歌山まで乗り通す。9月末に友人たちを連れてくるつもりで,その下見である。晴れの場合行く場所と雨の場合行く場所の両方を考えなければいけないからけっこう忙しいはずなのだが,バスに乗ってまず向かったのは和歌山中央郵便局だったりする。(言い訳:私は和歌山城に向かったのだ。そしたらとなりに郵便局があったんだよぉ)

昼食は和歌山名物・小鯛の雀ずしにした。ちょっと塩辛かったのが残念。その他ちゃんと「下見」らしいこともして,15:46に南海和歌山市駅に到着。予定では16:03のJR和歌山行きの電車に乗るつもりだったのだけど,とりあえず改札を出る。

改札を出たところに周辺地図があって,それを見るとつい郵便局に向かいたくなってしまった。地図を見れば徒歩5分くらいのところに和歌山宇治郵便局がある。

気が付いたら,郵便局の前。貯金をして局名入りのはんこを押してもらうのだが,和歌山城の絵が入っている。そういえば,和歌山中央郵便局のはんこには手まりの絵が入ったものと和歌山城の絵が入ったものと2つあって,両方押してもらったのだった。局員さんに聞いてみると,「和歌山市内の郵便局はほぼすべて絵入りのはんこを準備したはずですよ。」とのこと。さらに

「どこだったかなぁ,12種類のはんこを用意して月替わりで使っているところもあるらしいですよ」

それはやりすぎのような気がしないでもない。郵便局を辞して,時計を見る。思ったより時間を使ってしまった。和歌山市駅の構造はけっこう複雑だから,間に合わないかもしれない。

そういえば,さっき地図を見たときふと思ったけれど,ここまで来れば次の紀和駅までそんなに距離がなかったんじゃないだろうか。そっちへ行ってみよう。だいたいの記憶をもとに紀和駅の方角に歩く。線路が見えてきたが,駅はまだ遠そうだ。遠くに駅が見えた。ここで16時。駅に向かって小走りで移動する。ところが,駅まであと200メートルくらいというところで踏み切りの警報器が鳴り出して,駅まであと100メートルくらいというときに無情にも電車は私を追い越していってしまった。

南海和歌山市駅とJR和歌山駅の乗り換えで電車に乗り遅れた,というのはどこかで聞いたような話である。そう,「放浪記 1999 如月 第2回」でもやっぱりここで乗り遅れたのであった。どうやら和歌山とは相性が悪いらしい。

ところが,この次に乗る電車はJR和歌山駅16:39の紀州路快速大阪方面京橋行きである。幸いまだ時間があるから,バスか何かで和歌山駅まで行けばいいのだ。でも,どこにバス停があるかよくわからない。とりあえず,野生の勘にしたがって適当な幹線道路に出ると,バス停があった。1時間に2本くらいしかないバスがあと3分で来ることになっている。ラッキー,とバッグをベンチに置いて一休み……

もう一度バス停をよく見て気付いた。バスの行き先は「南海和歌山市駅」だった。これでは使えない。しくしく。またバス停を探して小走りに移動。やっとのことで本町二丁目のバス停を見つける。JR和歌山駅へのバスが12分ごとに出ているからなんとかなりそう。実はこのバス,先ほどの和歌山宇治郵便局の前を通ってくるのである。おとなしくバスに乗ってれば……

なにはともあれ,16:34にJR和歌山駅に着いて,紀州路快速の空いている席に座る。やっと落ち着いて時刻表を開けたら,和歌山市〜和歌山の列車は昼間は1時間に1本しか走らないのに,16時台からは本数が増えていて,紀和駅16:05の次に16:25発の列車があったのである。これに乗ればバス代を払う必要はなかった,などと今さら言ってもどうしようもないけど。

この列車は17:59に大阪駅に着く。できれば18:00発の新快速長浜行きに乗りたいが,混んでいる大阪駅で1分で乗り換えができるはずもない。そこで座席確保のために尼崎まで戻って次の18:30の新快速長浜行きをつかまえることにした。

尼崎駅のみどりの窓口に指定券を差し出す。実は思い立ったのが遅かったので,今夜の「ムーンライトながら」は満席で,「ムーンライトながら(コ)」すなわちコンパート席にしか空きはなかったので仕方なくその指定券を買ったのだ。しかし,あのコンパート席で一夜を過ごすのはかなり厳しい。普通の座席が欲しい……が,やっぱり満席だった。この時点で,よっぽどのことがない限り全車自由席の臨時大垣夜行の行列に並ぶことに決めた。「よっぽどのこと」というのは,「ムーンライトながら」のコンパート席の方が快適なほど臨時列車が混んでいる状態のことである。というわけで,本当はいけないことなのだが,「ムーンライトながら(コ)」の指定券は当分持っておくことに決めた。

ホームに戻ると,ちょうど新快速が入ってくるところだった。危ない危ない。もうちょっとで乗り遅れるところだ。乗り遅れたら次はまた30分後。この新快速は12両だと思っていたら8両だった。ちょうど帰宅ラッシュだからかなりの混雑が予想されるが,大阪で降りる人がけっこういるのでちゃんと座れた。これで米原までは何も考えなくてよい。

米原駅の乗り換えは毎回大変である。同じホームの反対側に乗り換え列車が停まっているのは結構な話なのだが,大阪からの新快速は12両または8両,ここで乗り換える列車はたいてい4両。座席確保もしくはいい立ち位置の確保のためには努力が必要なのである。今乗っている車両は6両目。これでちょうど目の前に列車が停まるはずである。

ふと気になって時刻表を開けたら,この新快速に接続する大垣行きは網干始発なのだった。となると,網干から米原までは11両くらいでやって来て,米原で切り放して前4両が大垣行きになる可能性が高い。……実は,もっと前の方に乗っていなければいけなかったのだ。しくしく。

車内はもう空いていたので5両目まで移動する。5両目と4両目の間には運転台があって,残念ながら移動できないのだ。この状態で米原に到着。予想どおり大垣行きはもっと前の方に停まっていた。先んずれば人を制す,とはよく言ったもので,戸惑っている人たちを尻目にさっさと乗り込む。適当な座席はなかったので,車掌室の前の空間にかばんを置いて占領した。乗り込んで気付いたが,113系の転換クロスシート化延命工事施行車両であった。要するにJR西日本が古い車両をアッと驚くほど大改造したもので,見たことはあったけど乗るのは初めて。この先乗務するJR東海の車掌さんもあまりの変わりように驚いていたようだった。

30分ほどの乗車で20:31に大垣着。臨時列車東京行きの発車は22:52だからまだ2時間20分ほど時間があり,さすがにこの時間だと各乗車口に1〜2人程度しか並んでいなかった。手近な列に荷物を置いて,座り込む。放送が「入線は22:46ごろの見込み」と言っている。さて,これから2時間近く,何が起きるでしょう?

というところで,次回につづく。ということは,何かが起きたのですな。


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