みならいの放浪記 1998 夏・第6回
〜ぢごくのどらいぶ〜

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1998年8月26日水曜日,天候不順。

朝はともちゃんに「8時出発」と言い渡されていた。男性陣はみんな7時半の朝ごはんに間に合うように支度をしていたのだが,ともちゃんはじめ女性陣は「朝からごはんなんか食べてられるか!(パン派らしい)」という理由で,朝ごはんを頼んでいなかった。

私は「8時までに絶対食べ終わらなきゃダメ!」ときつく言い渡されていたので(え?尻に敷かれてるって?やっぱ車に乗せてもらう身だから)少々急いで平らげたのだが,食べ終わってもあのうるさい声は聞こえてこない。

で,みんな食べ終わった頃にマスターがひとこと。

「あの部屋,まだみんな寝てるんじゃないかぁ???」

そのとーり。マスターが呼んだらやっと起きてきたのである。で,

実は,ペアレントさんを「マスター」と呼んでいるのはともちゃんである。

「寝過ごしたぁ!行くよ行くよ行くよぉ!!!」

次の瞬間,ともちゃんは同じ部屋の女の人が「食べない?」と差し出した食パンを食べ始めていた。仕方がないので「食べ終わったら呼んでね」と言って談話室でマンガを読む。そしたら,しばらくして

「何してんの,早く早く早く!行くよぉ!」

………って,終わったら呼べって言っておいただろーが!

とゆーわけで,この旅行初の車の旅が始まるのであった。

車は,日産レンタカー金沢駅前支店で借りた小さな(といっても軽ではない)白いワゴン。運転手は方向音痴なともちゃん,助手席は今朝から必死で「るるぶ・能登半島」で道を覚えたみならい。今日の課題は,昼の12時までに車を返すこと。もともとは昨日返すはずだったので(第5回参照)延滞料金がかかっていて,昨日営業所に電話したときに「12時までには返します」と言ったらしい。

地図を見ながら車で来た人に聞いたところ,30キロほど走ったところから「能登道路」という有料道路が金沢市まで伸びているから,それを使えば3時間ほどで着くだろう,とのこと。結局出発した時点で15分ほど遅延が出ているわけで,ちゃんと着くのだろうか。

危機はいきなり訪れた。田舎だからトンネルがあって,入り口に「トンネル内すれ違いできません」と看板があって,向こうから車が来るのに,ともちゃんは進入しようとしたのである。

みならい「止まれ止まれ止まれぇ!!!」
ともちゃん「え?なんで?」
みならい「なんでもいいから止まれぇ!!!」

というわけで事故を回避した私。普通,車の助手席に座った者の任務は運転手の相手をして居眠りを防止することだが,この車の助手席は前方注視が欠かせないらしい。自分の身は自分で守らなければならないわけだ。実は,これが彼女が車で迷う理由なのである。彼女曰く,

「信号を見ていると標識が目に入らない。 
 標識を見ていると信号が目に入らない。」

そこで私は丁重にお願いした。標識は私が見てどっちに行くかは全部指示を出すから,ともちゃんは信号だけを見て赤だったら止まってくれるように,と。さらに,それから私は赤信号を見ると「赤やで」と注意を喚起することにしたのである。自分の身は自分で守る。今日の標語。

やっと慣れてきて快調に走るようになった車。問題は今日の私の予定である。これからのことを考えると,今日の午後はヒゲのように出ている支線のうち2つ(第4回参照)を掃除して,氷見のユースホステルあたりに泊まるのが都合がよい。そうすると,明日富山港線を片付けて復活した大糸線に乗り,あさって飯田線を訪問して帰ることができて,ちょうど青春18きっぷの数も合う。

しかし,途中で休憩のため止まった駐車場で氷見のユースホステルに電話をしたら,「ただいま休業中」と冷たく言われる。休館するのなら「ユースホステルしんぶん」に情報を載せろってんだ。何のために会費を払っていると思っているんだ。

怒った私は次の案を考えた。もちろん自分の身は自分で守りながら,の話である。しかし,せっかく絶妙なプランをたてたのにそれが壊れたのはおもしろくない。富山ユースホステルは富山駅からバス50分で使い物にならないし,金沢のユースホステルに泊ると明日ヒゲを掃除するのが不可能になる。

で,第二の案は,話せば話すほどおもしろい(interesting である。とにかくこの子は興味深いのだ)ともちゃんが今日中に名古屋へ帰るというから,自分もいっしょに米原まで帰るというもの。ヒゲの掃除はまた来ればよい。あと1本ならともかく,あと3本もあるのだし,まだ廃止の噂は立っていない。この正体不明(昨日からずっと話しているが未だによくわからない)の人物としゃべりながらの旅もよかろう。

あ,そんな場合ではなかった。12時に金沢に着かねばならないのだ。しかも,ともちゃんに「この先高速道路があるらしいんだけど,どうする?」と聞いたら,答えは「高速道路は免許取る前高速教習で走っただけ。しかも,行きは後ろで居眠りしていて,帰りだけ教官の言う通りこわごわ走ったの」

わかったわかった。じゃあ,普通の道を走ろうね。

ここで私の背中を冷や汗が伝ったことと,せっかくの計画が破綻したことは言うまでもあるまい。

ともちゃんは旅費が心もとないので郵便局に寄りたいという。私は旅費は心もとなくないのだが郵便局には……(ごにょごにょごにょ)……そのぉ,寄りたいわけで。

しかし,前を見て走っているともちゃんには道路脇の郵便局も目に入らないらしい。「あ,今郵便局あったで」「え,どこどこ?」と会話したときにはもう通りすぎているのである。んなわけで,やっと見つけた(というか,やっと止まれた)のは比良郵便局。「ひら」でわない。「びら」と読むのである。んで,(ごにょごにょごにょ)を済ませた。

この(ごにょごにょごにょ)の部分に何が入るかは,「みならいの放浪記 1999 弥生」を読んだ方ならお分かりになりますね?!

郵便局に入るために車をちょっと横道に入れて止めたのだが,さて,どうやってUターンするか。もちろん切り返して方向転換すると思ったのだが,甘かった。ともちゃんは思いっきり右にハンドルを切って,片側1車線だけど車が全然来ない道であとは祈るだけ(爆笑)。ちょっと歩道に乗り上げそうになりながらも無事方向転換終わり。

さて,諸般の事情により一般道を走っておりますこのドライブ,道路標識のキロ程によればぎりぎり12時までに着くかどうかって時間。前にでっかいトラックがいて視界が悪い,怖いとともちゃんが訴えるので,急遽右に曲がる。もちろん,そちらに行ってもさほど遠回りでなく金沢に向かえることはるるぶで調べてあったわけだが,今度は前に農耕用軽トラックが立ちふさがる。お約束のように追越禁止。しくしく。

んで,ともちゃんが迷う理由その2を発見する。道路工事といえば,「右に寄れ」という矢印(わかるよね?)が付き物だが,ともちゃんはこの矢印を見ると

「わーっ,右に曲がれって書いてる。
こんなところ右に曲がったらわからんようになるって!
どーしよー,どーしよー,どーしよー!」

と言いながら右に曲がっていたらしい。そりゃ迷うわ。私の指導によりともちゃんはそれ以来,この標識を見ても右に寄るだけで曲がることはしなくったとさ。めでたしめでたし。

そんな場合じゃなかった。12時までに着かねばならぬ。金沢まであと30キロになったあたりで,「金沢」という道路標識をたどっていくと,突如高速道路のようなバイパスに出た。無料だから特別な表示がなかったわけである。さて,どーする,ともちゃん。

そーしたら,何のことはない。突然平気で100キロ出しやがるの。ちょっと怖い。けれど,信号無視はしばらく起こらないからその点は楽(爆笑)。

助手席の足下から,レンタカーの営業所でもらった地図を発見。市内中心部の地図はあるが,まだその地図の範囲に入っていない。あとはこの地図だけが頼りだ。金沢駅の近くには日産レンタカーの営業所が2つ(駅の表口と裏口)あるらしく,マルのついている方に向かえばよいのだろう。とともちゃんに確認したのだが,本人はよく分かっていない様子。ま,間違いないだろう。

時間はギリギリであるが,ともちゃんが「あ,ガソリン満タンにして返さなきゃ」と言い出して,手近なガソリンスタンドに入ってしまう。私はその瞬間いやーな予感がしたのである。場所が悪い。

そしたら,こういう予感は当たるんだな。10リットルくらい入れて,お金を払い終わったら,スタンドのおにいさんが「お帰りは裏からどうぞ」と裏口を指差すのである。ともちゃんは「私さっきの道に戻りたいのにぃ」と私に向かって言うのだが,仕方ない。なにしろ,裏口のすぐ前には日産レンタカーの支店があるのである。ただし,目的の営業所とは別の方なのだが。

それで,左折を3回繰り返して元の道に戻り,あと3回左折して11:59に目的の営業所に到着。ところが,実はもう18時間延長しているわけで,料金は1時間分×18>1日分だったので1日分の延長料金をとられる。それなら別に12時までに急いで帰ってくる必要はなかったわけで……まあいいけど。

私の荷物はいつも通り,リュックサック1つとボストンバッグ1つなんだけど,ともちゃんの荷物は車で移動していた人によくあるタイプ。すなわち,いざ車から下ろすと非常に持ち歩きにくく分散している上に,非常に重たい。とりあえずともちゃんの荷造りを手伝って,お腹が減ったのでおひるを食べる。名店街でいくつか土産物を物色してから,福井行きの普通に乗る。

ここでふとひらめいた。このまま帰らなくても,「ムーンライトながら」で東京に出ると前に調べた黄金の乗り継ぎ(別名,地獄の乗り継ぎ)ができて,ちょうど18きっぷの数も合う。「ムーンライトながら」でなくても今日は臨時の東京行き(全車自由席)も出ている日だが,大垣で並ぶのはかったるいので指定が欲しい。

んで,調べてもらうと大垣→東京は満席。これは予想通り。大垣→熱海なら……残っていない。ちぇっ。せっかくいいこと思い付いたと思ったのにぃ。

よくわかる解説。上り「ムーンライトながら」は熱海から一部自由席になります。この席はもちろん熱海まで,とわざわざ言わなければ買えないのでかなり遅くまで売れ残っていることが多いのですが,さすがに当日ではダメなようで。ちなみに下りは小田原から一部自由席。

あ,そうだ。最後の手段だ。「ムンライトながら(コ)」はあります?え?やっぱり大垣→東京はない。ほんと混んでるみたいね。じゃ大垣→熱海は?それならある。じゃ,それください。

よくわかる解説。ムーンライトながらに使われる車両(371系)には,車両の端に4人がけのコンパートメント席というのがあって,これは「ムンライトながら(コ)」という別の列車として登録されているわけでございます。別列車だからそれこそ知る人ぞ知る。知らないと買えないわけです。ちなみに,「ムーンライトながら(コ)」でないのはどうやら列車名の文字数が11文字に制限されているからのようです。4人で乗るにはいい席ですが,1人で乗るとなるとドアのそばで落ち着かないし,座席はリクライニングはしないし,決して乗り心地がよいとはいえません。

というわけで今夜の宿を確保した私,それから久しぶりに家に帰るともちゃんはその後,南今庄駅の周りを散策したり(要するに敦賀での接続列車がないから時間潰し)しながら敦賀,長浜,米原,大垣と乗り換えて20時ちょうどに名古屋に着き,ここでともちゃんを切り放したのでした。

ムーンライトながらまではまだ時間があるので,尾張一宮駅前のコンビニで夕食などを買い出して(東)柏原駅で食べる,という謎の行動をとったのでした。このローソンで「冷やしきしめん」という商品を見つけ,さすが名古屋圏だなぁと感心してつい買ってしまったら,ぢつはまっくいんの元バイト先でも売っていたらしい,という哀しいお話も。ちなみに,どうして柏原駅かといえば,降りたことがない,というのが第一の理由。第二の理由は,身づくろいなんかをするには大垣のような駅ではなく人のあまりいない駅の方がよい。実際に人は全然いなかったが,その代わりに虫がいろいろいたような。

大垣で「ムーンライトながら」に乗り込んですぐ車内改札も済んでしまったのでアイマスクをして寝てしまったから,後のことは知らない。途中で一度目を覚ましたらなんか他の席が埋まっていたような気がするのだが,もう一度目を覚ましたときにはだれもいなかった。私の寝相のせいではないと思うのだが……

というわけで,最終回に続く。


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