みならいの放浪記 1998 夏・第5回
〜久しぶりの布団は〜

←第4回 〜ぜいたくな一日〜 へ
↑紀行文倉庫(その1)へ


マスター(ユースホステルの経営者は通常ペアレントと呼ばれるが,だれかが「マスター」と呼んでいたのでそうしよう)は食堂で配膳をしており,泊まる人ももう食堂に集結していた。マスターにあいさつすると,「階段を上がって2階に《するめいかの間》という部屋がありますから,そこに荷物を置いてきてください。そしたら夕食にしましょう」とのこと。

今日の泊まり客は10人ほどだった。片田舎の規模の小さい(定員24名)ユースホステル,しかも夏の終わりとなれば盛況な方だろう。夕食は確かにイカソーメン,イカの煮物にイワシの塩焼。品数も豊富で大満足。イカのためにはるばる来たかいがあったというものだ。

食堂で向かいに座ったのは東京から来たという大学生の女の子2人組。私の年がわからない,というから「見たまんまを言えば当たる」と答えると,一方が「25歳くらい?」と言い,もう一人は,「30くらい?」。天誅。

で,「(当時)21だ」と言ったら「えーっ,タメじゃん」「何月生まれ?年下じゃん」。天誅。

さて,ここからの主役はとなりのテーブルに座っていた「ともちゃん」。メガネをかけたショートカットの子。推定年齢高校生程度。ところが,この子がとんでもない人物であるというのは,だんだんわかってくる。

食事中もこの子の名言は数知れず。一番すごかったのだけ書いておくと,

「ともね,初めて一人でこくがいに出たの中3のときなの。」

ふーん。なかなか行動的な少女ですわな。ところが,よーく聞くとこれは全くの聞き違いで,正解は

「ともね,初めて一人でこうくがいに出たの中3のときなの。」

懐かしい響き,校区外。私はつい

「この子ホンモノのお嬢様じゃないのぉ!」

と叫んでしまった。

食後,常連らしき人が車を出して,縄文真脇温泉というところに連れていってくれるというのでお願いする。海が見えるらしいのだが,真っ暗でわからない。風呂は桧風呂と岩風呂が1週間交代らしく,この日は岩風呂だった。しかし,設計の意図がよくわからない。「五臓六腑の湯」なんて名前の露天風呂があったのだが,なにが五臓六腑なのかがさっぱり。温泉を飲めるコーナーがあったので飲んでみたが,海の近くだからやっぱり辛かった。とはいってもやはり2日続きの温泉は心地よい。え?お忘れかもしれないが,昨日は別府温泉に入っていたのだ。移動のハデな旅だからね。

さて,帰ってきたら談話室にともちゃんがいた。話していてわかってきたこの謎の少女の正体をご紹介しよう。

名前
ともちゃん。
年齢
実は同い年(笑)。学年では一つ下。
特技
非常な方向音痴。実は,上の名言も「どこかへ行くときは弟が心配して付いてきてくれるから」らしい。
旅行
金沢からレンタカーで来た。車は運転できるらしい。名古屋に住んでおり,奈良の友達と一緒に青春18きっぷで来たのだが,途中できっぷをなくして車掌さんに泣き付いて便宜をはかってもらったらしい。

で,友達がナビをしてくれたから無事ここまで来て昨日泊まったのだが,友達は羽咋の実家に今朝から帰ってしまった。ともちゃんはそのまま金沢で車を返してうちに帰るつもりだったが,気が付けば財布がない。もちろんお金は持ってないし,財布には免許も入っている。仕方なくユースホステルまで帰ってきたけれど,もう遅いのでもう1日泊めてもらうことにした。財布はユースに忘れていた。

よくわかる解説。羽咋は能登半島の中ほどにある。
ユースホステルは先の方,金沢は言わずと知れた付け根である。

方向音痴であることは,ユースホステルから羽咋まではナビ付きで2時間で行ったのに,羽咋からユースホステルまで帰るには(来た道を戻ればよいのに)4時間半かかったことからもよくわかる。

というわけで,ナビを欲していたともちゃんと,七尾線・のと鉄道は単調で来た道を戻るのにあまり乗り気でなかった私は結託し,明日の朝から一緒に金沢まで帰る約束をして寝る。3夜連続夜行列車の身には布団が懐かしい。部屋はきれいな8畳間に4人。快適である。寝付きはよくなかったが,ぐっすりと眠る。

明日もよい一日でありますように。と祈りながら続く。


→第6回 〜ぢごくのどらいぶ〜 へ
↑紀行文倉庫(その1)へ


minarai@nnn.ac