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確か明石を過ぎたあたりで目覚めた。1998年8月25日火曜日,よい天気である。さて,もうすぐ大阪なのだが,まだまだ帰る気はさらさらない。7時10分,京都駅着。みどりの窓口で乗車券と特急券を買い,7時38分発の特急の人となる。そう,昨日の883系「ソニック」に続き,681系「サンダーバード1号」に乗る。ただし普通車自由席自由席である。したがって,某被告とは同レベルもしくは下である(笑)。
さて,これからの目的を紹介しよう。北陸本線が福井・金沢・富山・新潟方面に伸びているのはご存じと思うが,北陸本線からヒゲのようにローカル線が5本出ている。
これらはいずれも行き止まりで,これまで乗ったことがない(行き止まりでない高山本線,大糸線,信越本線なんかは乗ったのだが)ので,この機会に一気に片付けようというわけである。しかし,福井まで行くにも普通だけだと時間がかかって,なかなかこなせないので,思いきってサンダーバードに投資したのだ。
時速130キロはさすがに速い。あっという間に次の停車駅,福井に到着。8時58分,定刻である。3790円も投資しただけあって接続は絶妙で,9時03分に越美北線九頭竜湖行きが発車する。念のために説明しておくと,さっき書いた越前花堂という駅は福井の一つ大阪寄りで,一駅分後戻りして支線に入って行くのである。
2両ワンマンの列車は適当な混み具合で発車。ところが,いきなり次の越前花堂でJR社員が4人乗り込んでくる。すると,1人は車掌かな,てな気になるが,実は誰も車掌業務をしなかった。
よくわかる解説。車掌が乗務していれば,ドアの開け閉め・車内放送・乗車券の販売などをするのだが,この列車は社員が5人も乗っているのに運転士がドアを開け閉めし,車内放送はテープ。運賃は整理券とともに運賃箱に入れるのである。
しかも,どうやら見習い運転士(といってもかなりのおじさん)とその見張り役がいたらしく,その見習い運転士が運転しだした。見張りがついているからもちろん指差喚呼をやるのであるが,ワンマン運転だけに指差喚呼する対象が多すぎて,駅に着いてドアを開けて客が降りてドアを閉めて発車するのにかなり手間がかかる。3駅ほど行く間に見事3分遅れてしまった。定められたとおりに走れば遅れるなんて,どこか矛盾した話ではある。
ところが,美山という駅に着いたとき,向こうから変な列車がやってきた。あまりに予想外だったので見張り役のJR職員に「あれ,何ですか?」と聞いたら,臨時のお座敷列車だという。あとで駅の張り紙を見たら,今日限りの団体列車で,京都観光日帰りツアーなんだそうな。
ここで,私が全く予想していなかったことが起こった。運転台を覗き込むと「127D 美山〜九頭竜湖3分下げ」と書いてある。今日はこのお座敷列車とすれ違うために美山駅で3分余計に停まって,そのまま九頭竜湖まで3分遅れで走れという指令である。ということは……
ということだ。これを定刻と呼ぶかどうかは人によるだろうけど。なぜかその後は遅れもせず,10時30分に終点の九頭竜湖に到着。折り返し快速福井行きとなる列車の発車時刻まで55分ほどあるから九頭竜湖の見物でも……と思ったら,九頭竜湖はダムなのだが,まだ駅から6キロほど山の中に入ったところらしくて断念。
ここで歴史のお勉強。この線は越美北線というから,越前と美濃を結ぶべくして建設されたのである。で,福井側から南へと越美北線が九頭竜湖まで開通し,美濃側の美濃太田から北へと越美南線が北濃まで開通した。あとは一番険しい山を掘り抜くだけ(だから最後まで残ったわけだ)。しかし,国鉄は赤字街道驀進中。ついに建設は中止となった上に,越美南線は廃線指定まで受けてしまう。結局,越美南線は第三セクター長良川鉄道として現存するが,越前と美濃を結ぶ夢が実現することはもう,ないだろう。いつかあったらいいな。
気を取り直して,駅の周辺を歩く。駅前に特産物販売所があったので,特産のマイタケの炊き込みごはん400円と,地元産のスイートコーンをゆでたものを買う。コーンは小ぶり(普通店で売っているものの半分くらい)だが,2本入った袋を選ぶと「500円です」……ってことは,2本で100円。安い上に非常に甘くておいしかった。
さて,快速は快適に走って福井12時30分着。しかし,非常に遺憾ながら北陸本線下り金沢行は12時23分発。マイナス7分接続である。次は13時19分発なのだが,これでは後に差し支える(詳しくは下で述べる)。しかも,なんとよくできたことに,12時33分発「サンダーバード13号」に乗れば20キロほど先の芦原温泉でさっきの金沢行に追い付くのである。結局,後のことを考えて「サンダーバード13号」に11分だけ乗る。運賃320円,自由席特急料金720円の出費。
無事金沢行普通に追い付いて,ゴトゴト揺られる。やっぱりサンダーバードより落ち着く自分が哀しい。小松に着いて発見。小松製作所(フォークリフトとかブルドーザーとか作っている会社)は小松にあった。でも,自衛隊の小松基地(だっけ,米軍基地かな)も小松にあった。
小松でスーツを着たサラリーマンがたくさん乗ってくる。彼らはなんか迷惑で,大声で話しながら窓を開ける。冷房が入っているのに,どうやら彼らはスーツのせいで暑いらしく,その上窓を開けて暑い風が吹き込んでくると快適らしい。あんたら,やめなはれ。
金沢でも5分の接続。13時57分発七尾線七尾行。七尾からはのと鉄道に乗り換えて(もちろん青春18きっぷでは乗れないから別払いである。今日はサンダーバード2回にのと鉄道と,別払いが多いけどそれでもちゃんと18きっぷのモトはとれている)17時46分,やっと九十九湾小木駅に到着。
九十九湾小木って読める?正解は「つくもわんおぎ」でした。
私は今まで能登半島を甘く見ていたようだ。能登半島は想像以上に大きい。その上,鉄道とバスでは不便で手に負えない。それをいやというほど実感した。さて,どうして私がこんなところまで来たかと言えば,ユースホステルに泊まるためである。和倉温泉から折り返して金沢あたりに泊まってもよかったのだが,せっかくのと鉄道を目前にして乗らずに帰るのは悔しい。すると,能登漁火ユースホステルというのが九十九湾小木駅徒歩20分にあったので,これにした。星4つだし,夕食はたいていイカ刺しだというから。
よくわかる解説:ユースホステルのガイドブックには各ホステルの評価が星4つ満点で載っている。星の数はあてにならない,という人もいるが,私がこれまでにユースホステルに泊まった延べ16泊のうち,大はずれだった2箇所は星2つなんだな。だから,私は星2つのユースは避けるようにしております。例外とかあったら教えてください。
蛇足:星4つで,確かに設備はきれいでも管理人のおっさんが最悪,という場合もありましたけど……
さて,私の手元にあるのはものすごくいい加減な略地図だけである。これで本当にユースホステルにたどり着けるのだろうか。とりあえず,方向を確認して歩き出すが,いきなり思っていた道が「トンネル工事のため通行止め」で,回り道を余儀なくされる。前途多難。実は,列車から降りたときに‘いかにもユースホステルに行きそうな若者’が一人いたのだが,全然違う方向に歩いていったからどうやら違うらしい。少なくとも,彼のように線路を越えると間違いであることは略地図からでもわかる。
登り坂をとぼとぼ歩き,長い(といっても300メートルくらい)トンネルを抜けると,そこは港だった。略地図で確認。ここを左に曲がって,雑貨屋のところを右に曲がって,酒屋を左に曲がって行けばいいはず……
雑貨屋がない。仕方ない。こうなったら取る手段はただ一つ。野生のカンに頼る。適当に道を選んでいくと,「ユースホステル坂を上がって6分」てな看板を発見。また登って下ったら,海辺に出た。海岸線が非常に複雑で,岬の反対側に出たらしい。やっとのことで目的地に着いたら,18時15分。駅から30分はかかってるぞ。結局遠回りはしなかったのに。
外から食堂がよく見える。ちょうど夕食の支度をしているようだ。そう,夕食に間に合うように「サンダーバード13号」に投資したのである。せっかくのイカ刺しがおじゃんになったら目もあてられないからね。
こんにちは,と声をかけると,出てきたのはおじさんではなく若者だった。どっかで見たことのある顔だ。そう,さっきの‘いかにもユースホステルに行きそうな若者’である。彼曰く,迷っていたらちょうどユースに帰る人の車が通りかかって,乗せてもらったそうだ。これを「急がば回れ」と……言うのか??
そんなわけで,イカ刺しから次回に続く。
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