みならいの放浪記 1998 夏・第3回
〜どたばたの一日は過ぎて〜

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さてさて,文句をたれながらもムーンライト九州で熟睡していた私が目覚めたのは1998年8月24日の朝7時頃。博多到着は7時26分だからやはり適切な目覚めである。たいていの人はそうだと思うが,朝起きたら顔を洗って歯を磨きたい。昨日の朝は新宮駅の洗面台でやったわけだが,博多駅には確かそんなものはなかった。となれば,車内の洗面台で片付けておかねば後で難儀なこと(通勤客でいっぱいのトイレを使うとか)になるので,これくらいに起きるのが最適である。下関・門司と2回の機関車の付け替えがあり,さらに小倉でかなりの人が降りたと思われるのに知らなかったのは熟睡していた証拠。

しかし,その眠気をいっぺんで吹き飛ばす放送があったのである。「この列車は20分ほど遅れて運転しております」……って,ちょい待て。昨日相生駅で遅れた分そのまま遅れとんのか,ワレ。ケンカ売っとったら承知せんぞ。

とはいうものの,通過する駅を見ていれば確かに遅れているからどうしようもない。この後の移動はかなりシビアなのにぃ。

というわけで7時48分に博多に着き,大慌てで地下鉄に乗り換え,天神駅で西鉄(もちろん西日本鉄道の略)の発車間際の急行をつかまえ,二日市で乗り換える。目的地はそう,太宰府である。毎年夏に九州へ行ったら参拝しているような気が…… 少なくとも,今年は土産物店をゆっくり見る時間もない。西鉄太宰府駅8時34分着,51分発で,その間に本殿に参拝してこなければいけないのである。あ,どの店も開店準備の時間で,梅が枝餅など焼いていなかった。そのうえ,どしゃ降り。

さて,西鉄二日市からJR二日市へ歩いて,鳥栖まで行く。本日のメインイベント,鳥栖10時00分発豊後森行普通列車である。乗り込む前に売店で「焼麦弁当」を買う。何でこんな字かは知らないが,シュウマイである。鳥栖名物で,けっこううまい。もちろん,駅弁は列車の中で食べるのがよいのだから,持って2番線に移動する。

そこには,ディーゼル機関車が客車4両を引き連れて停まっていた。2年前に乗ったのは赤色の50系客車であったが,今回は青色の12系客車である。私はここで究極の選択を迫られることになる。

1両目の座席はグリーン車のお下がりのリクライニングシートだったが,スハフ12形には照明や冷房に使うためのディーゼルエンジンがついていて床下が少しうるさい。あとの3両はオハ12とオハフ12で,エンジンがついていない分床下は静かだが,座席は昔ながらの4人がけボックス席。

結局私はグリーン車を選びまして,客車ならではののどかさを堪能しつつ遅い朝食をとりまして,日田では34分停車というから駅近くを探索し,12時54分に豊後森に着く。で,ここからどうするかといえば13時55分発の大分行があるからそれに乗り継ぐ…… といっても,同じ車両がそのまま大分行に変わるのである。1時間を回りを散策して過ごす。

さて,ここで問題がある。今夜のお宿をまだ決めていないのである。いろいろ検討したのだが,九州ないし中国地方を見て回ることは可能だが,このあたりから青春18きっぷで大阪に帰るには,ほぼ1日かかる。しかも,ちっともおもしろくない車両が来ることはわかっている。なら,そこは寝ている間に通りすぎればよい。そのためには「ムーンライト九州」であるが,第1回に述べたように今年の夏の「ムーンライト九州」は昨日乗った車両が今夜京都に帰って,それでおしまいである。なら,それに乗ればよい。しかし,私は指定券を持っていない。なら買えばよい。ください。満席です。買えない。自由席がある。それなら博多で並ばなければ絶対に座れない。タイムリミットは2時間前と見た。時刻表を繰る。博多までふつうに行くと,全然間に合わない。幸い今回予算に余裕はある。投資しよう。

豊後森からは4人ボックスの車両に移ってゆったり座るが,3駅ほど行ったところで同じ車両に学生の集団が乗り込んできてうるさくなる。まあ我慢しよう。大分15時58分着。DE10 1206たちが車庫に引き上げるのを見届けて,16時10分発の普通電車に乗り,別府16時23分着。

別府みたいな駅は嫌いだ。なにしろ,改札を出ると旅館の客引きのおっさんが寄ってくるのである。しかし,私がそんな奴を相手にしないのは予想できることであろう。

客引き「あ,お客さん,お泊まりですか?」
わたし「いや,全然。40分くらいで入ってこれる公衆浴場とかあります?」
客引き(あからさまに嫌そうな顔で)「40分で風呂入れるのかい?」
わたし(平然と)「ええ,もちろん」
客引き(さらに機嫌を悪くして)「そこ,50メートルほど歩いていったところに駅前高等温泉ってのがあるよ」
わたし(笑みをつくって)「どうもありがとう」

さて,駅前高等温泉はどう見てもふつうのビルであったが,入り口にノレンがかかっている。値段は「高等湯(シャワー付き)300円,並湯100円」で,他にも休憩室(決してぁゃιぃ意味ではない)などがあるのだが,番台のおばさんは「お風呂ですか?300円です。」という。まあ高等湯に入るつもりだったが,高等湯か並湯の区別も聞かないとは変なのでおばさんに尋ねてみる。

するとおばさんは「ああ,並湯ってのは地元の人用です」ですと。なるほどね。高等湯といっても高級なわけではなかった。駅前で300円で入れるのだから文句を言ってはいけないが,ちょうど必要最低限の風呂という感じだった。それでも別府の温泉に入ったことに変わりはない。ちゃんと時計を気にしながら風呂から上がり,隣りのコンビニで牛乳500ミリリットルを買って,駅のホームで飲む。よい気持ちである。

さて,投資というのは,ここから特急「ソニック24号」に乗って小倉に向かうのである。大分〜小倉というのはけっこう距離があって,普通電車は本数が少ない上に時間がかかる。一方,この特急は博多行きだが,小倉〜博多は特急とほとんど所要時間が同じ快速が走っているから,投資額を減らすため小倉まで。

さらに,私は投資額を減らすために知恵を絞っている。別府〜小倉間は120.7キロメートルで,惜しいところで1段階高い運賃を払わなければならない。そこで,買った乗車券は別府〜西小倉間で,120キロぎりぎりに収めてあってその上学割。特急券はオレンジカード消費のため券売機で100キロ未満920円を買った。これでちょうど春の東北放浪で仕入れたオレンジカードがなくなった。ちなみに,私は電車の柄のオレンジカードを買ってはバシバシ使って使用済みを残しておく主義である。なぜ100キロ未満の特急券かといえば,100キロ以上の特急券は券売機で売っていなかったから,というだけの理由である。

ソニックに乗ったのにはもう一つ理由がある。2年前に九州全土(笑)を旅行した際,ほかの特急には概ね乗ったのに「ソニック」だけは諸般の事情(といっても自分が悪い)により乗り損ねたのである。この車両のコンセプトは非常におもしろい。「空いていても淋しくないように車両はハデにしよう」というのである。確かにハデなんだけど,私はけっこう気に入った。好き嫌いの激しい類のものではあると思う。

車掌がやってきた。その名も門司車掌区・入学さんという。なんだか,非常にご利益のありそうな名前ではある。彼に乗車券と特急券を見せて「小倉までに変更をお願いします」と頼む。すると彼は「きみ,学割で買うときは目的地まで買わないと損だよ。乗り越し分は学割効かないんだから」といいながら機械を扱う。私は「こっちの方が安いんだよ!」とか思いながら「はいぃ」と間の抜けた返事をする。彼は西小倉→小倉の乗車券を発行して「160円ね」というから,黙って160円を払えばよかったのだが,それはやっぱり気が引けるので「特急券の方はこれでよかったっけ?」とわかっていて聞く。入学さんは「別府から小倉は920円だったと思うけどなぁ」とか言いながら機械を操作して,「あ,1370円だ」という。かくして予定通りの金額を払い,ゆったりとくつろぐ。普通列車に慣れた体にとってはやはり快適である。18時19分,小倉着。5分の乗り継ぎで快速の荒木行きに乗り継ぎ,19時25分に博多着。「ムーンライト九州」の博多発は21時32分だから,正に2時間前である。

ここで問題が発生した。発車時刻表を眺めてまわったが,「ムーンライト九州」が載っていないのである。仕方がないので駅員を探して聞こうとするが,駅員がいない。長いホームのどこかに詰所があるだろうから……と歩き回ってやっと見つけると,「あぁ,3番線ですよ。あそこに並んでいるでしょ?」

指さされた方を見ると,確かに列があるが,各乗車口5人程度である。投資した甲斐あって今夜の宿は確保できた。この行列はだんだん長くなってゆくのだが,なにしろ列車が入ってくるのは発車2分前だ(というのはこの夏に乗った友人に聞いていた)からじっと待つ。そのうち行列はホームの反対側まで達した。行列は長いホームの端っこにあって,ほとんどの列車は真ん中あたりに停まるからほかの列車に乗る客の迷惑にはならないが,あまりホームの端に寄ると発車・到着の際危険だから,駅員がやってきて列を曲げる。それくらい自分達で気を効かせろよ。後ろに並んだ人と話す。東京の大学に通っている大学生だが,神戸の実家に寄ってから帰るとのこと。彼が九州へ来たときの「ムーンライト九州」は,網干駅での事故の影響をモロに受けたとか。なにしろ,姫路の手前で停まってしまったあげく,目を覚ましたときやっぱり姫路の手前にいたとかで,博多についたら15時頃だったらしい。それに比べれば私の20分遅れなど大したことはないと思うが,その20分のおかげで太宰府参拝が非常に忙しなくなったんだぞ。ふと思い付いて,朝太宰府でずぶ濡れになった傘をホームで干す。空気はもう乾いていたらしく,すぐに折り畳める状態になった。

情報通り21時30分頃に客車がピタリ乗車口に停まり,長い列がすいこまれてゆく。どうやら21時頃がタイムリミットだったらしく,最後の方の人には座席がない。この車両はもともと「シュプール号」用だから,大きな荷物を置くためのスペースがとってあり,次にそこが埋まってゆく。そこも確保できなかったら……どうするんだろうねぇ?!

走り出すとJR九州の車掌が回ってきて,自由席に座っている客に下車駅を聞いているから,明日の日付を入れてもらおうと頼むと……

「あ,下関で西日本の車掌が乗ってきますから,そちらに頼んでください」

下関は22時56分。それまで起きている気はさらさらない(し,車掌がすぐに来るとも思えない)私は眠いのだ。それにしてもどっかで……

あ,門司車掌区の入学さんだ。私は夜行3連泊なんで眠いんです。じゃ,寝ます。(なんて彼には言っていないぞ)

まだまだ続く。


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