みならいの放浪記 1998 夏・第2回
〜ツアーが果ててどないする〜

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1998年8月23日午前2時30分頃寝付いた私が目覚めたのは5時。あと10分で終点新宮に着くという絶妙さである。新宮駅の水道で洗面を済ませてすっきりしたところで6時05分発の紀勢本線松阪行きの普通列車に乗る。ディーゼルカー2両である。で,もちろん睡眠不足の私はこの車内でもずっと寝ていたのである。ただ,鮮明に覚えていることを一つ。

ある駅で,発車間際におばあさんが階段を登ってホームにやってきた。我々はそれに気づいたが,ちょうどドアが閉まったところ。「止まったれやぁ」と我々は叫ぶも,車掌室は遠く,懸命に腕を振るおばあさんをホームに残して列車は発車してしまったのでありました。次の列車は,と。およそ2時間後です。「サービス悪いなぁ」と口々に言う我々。なんとタチの悪い客だろう。

どこへ寄り道するか,という議論があったのだが,まず二見浦で降りて夫婦岩を見る。実は,このツアーでマジメな観光スポットに行くのは非常に稀である。駅へ帰る途中に赤福を売る店があり,ツアコン(と言っても参加者の1人)が1箱12個入りを買って駅のホームでふるまってくれる。しかし,最後の一人が食べ終わるか終わらないかのうちに列車が入ってくる。私の好きなキハ75系「快速みえ」である。なにしろ,ディーゼルカーの分際で名古屋〜鳥羽間で近鉄特急(もちろん電車)とほぼ同じ所要時間を誇っているキハ75の加速は抜群。要するに私がスピード狂なのかもしれぬ。これで鳥羽まで行く。

さて,鳥羽で観光するなり昼食にするなりを考えていたのだが,なかなかちょうどよい店が見つからない。その上,手持ちが少なくなってきたので郵便局に行きたいと何人かが言い(日曜日でなければさらに何人か,もしくはほぼ全員が郵便局を目指すのだが……)反対側の駅ビルにATMがあるという情報を得てうろうろする。で,結局はツアコンの判断は,「さっきの快速の折り返しで名古屋に向かって,名古屋で味噌煮込みうどんを食べよう」

はーい。本日も快速みえにご乗車いただきましてありがとうございます。まもなく発車いたします。発車2分前になって我々は重要なことに気づいたのである。

一人足りない。相生市のYさんがいない。もともと静かな人(というかマイペースな人)なのだが,どうやらうろうろしているうちにはぐれてしまったらしい。かくして鳥羽に一人積み残したまま快速みえは発車したのであった。幸い,Y氏および本隊の人間が携帯電話を持っていたので連絡はついたが,鳥羽切り放しということになってしまった。

名古屋に到着し,味噌煮込みうどんの店に行くと行列ができていたが,かまわず並んで食べたところで14時30分。ここで一次解散。すなわち,関西へ帰る人間と関東へ帰る人間が分かれる。関西組4名は快速米原行きに乗り,米原16時21分の新快速に……って,よく考えたらこれは昨日長浜から米原まで乗った列車なのであった。丸一日かけてぐるっと一周してきたことになる。

さて,この列車は17時14分に京都に着く。本日のお宿ムーンライト九州号の京都発は21時32分である。4時間のヒマ。さて,どうしよう。そうだ。京都17時22分発の奈良線奈良行きに乗り,東福寺で京阪に乗り換えて帰宅(笑)。夕食をとり,風呂に入って着替えて再び出発。この日は樟葉の花火大会で,臨時列車が多数走っていた。私の乗った準急は,寝屋川市から京橋まで途中萱島・守口市停車で10分で走りきったのである。(途中止まらない急行で10分,止まったら13分くらいが標準)いやいや,スピード狂にはたまらない……ってかぁ?

念のために言っておくが,ムチャな運転の車とか,制限速度を越えた電車なんかには恐怖感しか感じないからね。

で,大阪駅で22時08分発「ムーンライト九州」博多行きを待ち構える。列車は順調に走るが,放送がうるさい。いちいちバカ丁寧にオルゴールを鳴らすのである。風情はあるが,寝るには耳障りである。しかも,車内改札が来ない。姫路を過ぎても来ないので,こちらから車掌室に出向いていくことにする。

私「あの,車内改札はないんですか?」
車掌「いや,行きたいんですけどねぇ。指定を売れとか言う人がいてなかなか進まないんですよ。それにさっき姫路で言われたんですけど,なんかどっかの水害の影響で乗り遅れた人が新幹線で追いかけてくるとかで,相生で止まれと指示が来たんですよ。ねぇ。ホームがどっちかもわからないし……相生着いたらよく見てドア開けないといけませんねぇ」
私(グチはいいから仕事しろ)「で,あの」
車掌「あ,きっぷは見させてもらいますよ。5号車3番Aですか。はい。あ,明日の日付ですね。はい,これでいいですか。わざわざありがとうございました。」

列車は予告通り相生駅に止まった。車掌はまたオルゴールを鳴らして放送する。

車掌「ただいま相生駅に停車中です。ダイヤの乱れの影響で相生駅からご乗車になるお客様がいらっしゃいますので,お急ぎのところご迷惑をおかけしますが,しばらくお待ちください。」

しかし,時刻表を見ても今頃相生駅に来る新幹線は見当たらない。どうなっているのかと思って見ていると,隣に最終の播州赤穂行きが入ってきた。何とはなしに眺めていると……

鳥羽に置き去りにしたY氏が乗っていた。

で,この播州赤穂行きに乗っていた若者が一人走ってきてムーンライト九州に乗り込み,20分ほど遅れて発車ということになったのである。どうやら,姫路まで新幹線に乗ってきた人が後続の播州赤穂行きで追いかけてきたというのが真相らしい。私はここで寝ることにした。もう23時である。車掌はまたオルゴールを鳴らして放送していたが,そんなことはもうどうでもいい。私は眠いのだ。

この話にはありがちなオチがある。実際,私はこのオチを何となく予想していた。岡山を過ぎてしばらくした頃,すなわち24日の午前1時頃に車掌が車内改札に回ってきて,「もしもし」と私を起こしたのである。あんた,さっきチェック表にチェックしてたんちゃうんかい。とちょっと不機嫌になるもまた寝る。私は眠いのだ。というわけで続く。ちなみに,岡山の次の停車は5時05分,その名も「あさ」駅である。漢字で書けば厚狭ね。


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