みならいの放浪記 1998 夏・第1回
〜初日は代行バスに乗ろう〜

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1998年8月,やはりみならいは「どこかへ行きたい!」という欲求を抱えていた。しかしながら,諸般の事情により8月20日ごろまでは動きがとれず,うっぷんがたまっていた。

そこに現れた誘い。8月22〜23日に友人たちで一緒に出かけないか?(これを仲間内では「ツアー」と呼んでいる) そのツアーの目的地が紀伊半島。これは参加しない手はない。というわけで,22日から旅行に出ることが確定した。

次に,久大本線に行きたい。それから太宰府天満宮に参拝したい。さすれば,快速「ムーンライト九州」である。しかし,この夏の運転は遺憾ながら下り(京都発博多行き)が京都発8月23日まで,上り(博多発京都行き)が博多発8月24日までである。したがって,23日の午後に名古屋駅でツアーが終了したあと,京都まで移動して「ムーンライト九州」で夜を明かすことになる。というわけで,この快速の指定席をゲットしたいわけだが,案の定満席であった。例年この列車の自由席は戦場になるので,どうしても指定券が欲しい。何度かのリトライの末,8月20日に京阪交通社出町柳支店で喫煙席を入手。

さて,8月22日,寝屋川市駅6時40分発の三条行き普通に乗り,丹波橋駅を小走りに移動して16分の急行に乗り,京都駅へ。ヒネリがなくて悔しいが京都駅のみどりの窓口で青春18きっぷを買い,改札を通って私は旅人となったのであった。

記念すべき(?)第一走者は31番線に停まっていた。嵯峨野線・山陰線の福知山行き。見るからに前2両が福知山行き,後ろ4両が途中園部止まりなので前に乗るが,どうやら同様の若者が多く席が埋まっている。これはヘタすると立ちっ放しかもしれないが,まあ仕方がない。運転台を覗き込むと,「鹿笛取り付け完了車」とシールが貼ってある。物騒な話である……

と思っていたら,そのあと新聞に載っていた。嵯峨野線園部の近くで電車と鹿が衝突し,ブレーキ管が破損して50分ほど立ち往生したそうな。鹿笛取り付け未完了車だったのか,鹿笛に効果がないのか,はたま鹿笛とは鹿を寄せつける笛なのか……

閑話休題。途中で空いた席に座って綾部着。本日の目的は「舞鶴線代行バス乗車」である。なにしろ,舞鶴線綾部・東舞鶴間が電化されるので,8月17日から31日まで全列車を運休させて突貫工事をしているのである。電車を通すにはパンタグラフの上に電線を張ればよいのだが,それだけではなかなか済まないのが実情である。実際,電線を張るだけなら夜にやればよい。なぜここまで大騒ぎになるかといえば,トンネルがあるからである。トンネルをパンタグラフの分だけ広げなければならないのだ。そういう方面に詳しい友人の解説によると,さすがに上を広げるのは大変なのでトンネルの底を掘って線路を低いところに引き直すそうである。すると,もちろん前後のレールも引き直さねばならぬ。かくして,大工事になっちまう。

とにもかくにも,代行バス。駅前に停まっていたJR西日本バスにはかなり人が乗っていたので,次のバスを待つことにする。来たのは京都交通バス。応援を頼んでいるようだ。で,バスの運転手に加え,JRの運転手が1人乗り込んで発車した。線路とほぼ平行に国道が走っており,その国道をバスは行く。バスの運転手とJRの運転手が雑談しながらしばらく行くと淵垣駅。バスが道路脇に停まるとJRの運転士が降り,ビーチパラソルの下にいた淵垣駅員(?)としばらく雑談。時計を見て,JRの運転士がバスに戻り,バスの運転手に「お願いします」と言うとバスは発車する。で,また雑談が始まる……おい,JRの運転手,おまえは車掌業務をするために乗っているのではないのか。ちょっとくらい客に案内しろよ…… あ,そういえばさっき「ふちがきえきです」と一言だけ後ろを向いて言ったような。

次の梅迫駅には,ビーチパラソルすらなかった。梅迫駅員は近くの工場の影に座り込んでいた。こんな調子で東舞鶴駅に到着。駅はなぜか高架なのに,駅前はだだっ広いばかり。で,舞鶴鉄道部の偉い人(帽子を見ればわかる)がお出迎えをしてくれて,きっぷを集めている。

しかし,これは完全な人選ミスであることがすぐにわかる。集改札業務は慣れた人にやらせるべきだ。なぜなら,彼は私の青春18きっぷを手にとって,こう言った:

「えっと,これはもらっておいてよいのかな?」

こらこら,おっさん。まだ4日半も乗れるっちゅうねん。バスに乗ってきたJRの運転手の口添えもあり,回収はまぬがれた。

さて,もう11時過ぎ。次の列車の発車まで1時間ほどあるから,ここで昼食にしたい。さもなければ食いはぐれるおそれが大きい。しかし,だだっ広い駅前にあるのはアルプラザだけ。あ,この間香里園にできたショッピングセンターのことね。なんでここまで来てアルプラザで昼ごはんなんかを……とか思いながらけっこうお客の多い店内で昼ごはんを済ませて,駅に戻る。

列車に乗ろうとして愕然とした。そう,高架を挟んで駅の反対側にはちゃんと街が存在したのである。しくしくしくしく。とにかく,ディーゼルカーに乗って敦賀まで行く。乗り換えに少し時間があるので待合室に行ってみると,みんながテレビに釘付けになっていた。見ると,高校野球が9回,2アウト,2ストライクだ。んで,ピッチャー投げた。空振り。試合終了!

ん? この瞬間に横浜高校が優勝したらしい。それにしても,この盛り上がりは何なんだろう。それがわかるのは次の朝,誰かがスポーツ新聞を買ってきてからである。私は実は歴史的な瞬間(だけ)をたまたま目にしたらしい。しかも敦賀で。

さて,長浜で乗り換えて米原着。ここでしばらく時間をつぶして,豊橋からの快速を待ち受けて,ツアーに合流。現在参加者は確か8名。予定通り17時21分発新快速で18時40分新大阪着。ここでいったん「解散」する。約一名,「吹田のおねえさんの家へ行って風呂に入ってくる」人を切り放したが,残りはみんな夕食に行く。どこに,と考えたが,結局天神橋筋のお好み焼き屋に落ち着く。なにしろ,東京の人の中には初めて食べるという人もいたのである。帰りは大阪天満宮から京橋・大阪経由で新大阪へ戻る。大阪環状線の見掛けだけ新型の車両に乗りたいという人がいて何本か待ったのだが,結局お目当てのものは来なかった。

新大阪で1人を切り放す。彼女は駅前のホテルに泊まり,明日はサンダーバードに乗るという。しかも,その理由が凄い。

「福田和子に先を越されたのがくやしい!」

ある人の証言によれば,福田和子が逮捕された直後からずっとこう言っていたそうだ。しかも,「福田和子はハザ,私はロザだから私の方が上だ」と訳のわからない張り合い方をしていた。

よくわかる解説:ハザは普通車,ロザはグリーン車。

で,22時45分発新宮行き快速に乗車。新大阪で連結した人も含めて総計12人が3ボックスを占める。この列車は天王寺〜和歌山間は通勤客で通路まで満員になるから,ぜいたくはできないのだ。結局,2時10分着の紀伊田辺で4人×3ボックスを3人×4ボックスに組み直して,やっと眠れるようになった(さすがに1ボックスに4人座っていると非常に眠りにくい)。2時30分に白浜に着いたのはなんとなく覚えているが,その次の停車駅の周参見は全然知らない。しかし,車掌は大声で一晩中放送をしていたようだ。ふつーは「この先深夜帯を走りますのでご案内はここで終わらせていただきます。明朝は○○駅到着前から放送させていただきます」というものなんだけどねぇ。

というわけで,なんとか寝たところでつづく。


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