みならいの放浪記 1998 夏・第7回
〜ぢごくののりつぎ〜

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1998年8月27日木曜日,午前4時42分,快速ムンライトながら(コ)とムーンライトながらは(同じ列車やちゅうねん)定刻に東京駅に到着した。

今日は黄金の乗り継ぎ,別名地獄の乗り継ぎを決行するわけだが,何が地獄かは読んでいるうちにわかってくるので,正確に時刻を記述することにする。

まず,川崎あたりで目を覚まし,洗面はすませてある。東京駅の洗面所(といってもトイレ)はたいてい混雑するし,なにしろぢごくの乗り継ぎだから。長いエスカレーターでかなり高いところの中央線ホームに移動して,4:58分発中央線各駅停車の高尾行きに乗る。

6:13高尾着。ここまでロングシートの車両だったがぐっすり寝ていて何も覚えていない。何度も通っているからそれでよい。向かいのホームから6:15に発車する松本行きに乗り換える。

冬にこの乗り継ぎをやったときは,暖房が効いていなくて困った記憶があるが,今日は快適で,やっぱり惰眠をむさぼる。やはり昨日のドライブでかなり疲れたようだ。この列車の困るところは,ちっとも朝食を調達できる場所がないことである。小淵沢の駅弁はおいしいとよく聞いているので,車掌に頼んで買うまで発車を待ってもらおうかな……と思いながらうとうとしていると,気付けば小淵沢を発車するところ。はい,お約束。これで,本日の朝食は昨日尾張一宮駅前のコンビニで多めに買ったパンと決定したのでございました。

上諏訪駅8:56着。この駅はホームに露天風呂があることで殊に有名なのだが,残念ながら入ることはできない。9:03発の飯田線天竜峡行きに乗り継ぐ。大好きな飯田線の旅が始まるわけである。

死ぬほどたくさんある駅に一つづつ,飛ばしもせずに丹念に止まりながら11:57に天竜峡着。駅近くの郵便局(以前訪問して場所を覚えていた)で旅費をおろし,窓口でこれから使う指定券と青春18きっぷを買う。そしたら最近滅多にお目にかかれなくなった古い機械が置いてあって,両端に穴の空いた紙にドットインパクトプリンタで打ち出されたきっぷが出てきた。駅員さんに「こんな機械久しぶりに見たなぁ」と言うと,

「いや,こんどMRに変わるんですよ」

と少し淋しそうに教えてくれた。

よくわかる(?)解説。指定券を売る機械(MARSという)にもいろんな種類があって,MR10型というのは最近非常な勢いで増殖している,日立のパソコン+ういんどうず+マウス,って奴である。慣れていない人でもある程度扱える反面,「職人技」ってのがなくてつまらない……かな?

とにかく目的を果たして12:17発の豊橋行きに乗る。これだけやっても天竜峡駅滞在時間20分。飯田線随一の風光明媚な区間を通りすぎて,13:36に中部天竜駅着。

今日最大の休憩時間なので駅周辺を散策したら,殉職者の碑があった。やはりかなりの難工事だったようだ。さて,本日のメインイベント,14:29発の全車指定臨時快速列車「トロッコファミリー号」に乗車。飯田線を管轄している豊橋運輸区・伊那松島運輸区は鉄道ファンの心をくすぐる企画を多く実行していることで有名である。トロッコ列車なら最近はやりであちらこちらで走っているが,ここのは機関車がひと味違う。こげ茶色のEF58 128とED18 2が交代で牽いている。EF58は全国に5台くらいしか残っていない貴重品。ED18に至っては,もはやここに1台あるきりである。前々から乗りたいと思っていたのだが,名古屋あたりから日帰りするのにちょうどよい時間に走っているため,なかなか乗れなかったのである。

期待を裏切らず,ごとごととスリル満点で走り抜けるトロッコファミリー号。ちなみに編成は[EF58+トロッコ2両+ふつうの客車2両]である。なぜ普通の客車が必要かといえば,電源を供給するためと,最後にちょこっとある複線区間は危険だから客をそちらに移動させるため。それから,雨の場合用(爆笑)。

この車掌のおじさんがいい人で,つい(とはいってももともと計画済み)飯田線オリジナルオレンジカードを買ってしまう。はじめは2枚にしておこうと思ったのだが,話がはずんで,3枚追加した。まあ,どこのJRでも使えるわけだし,使用済みをとっとく主義なので損はしていない。それに,もうお忘れかもしれないが,別府駅でちょうど春に買い込んだオレカを使いきってしまったのである。

豊橋運輸区は気前がいいから,オレカを何枚か買うと厚紙でできたケース(台紙?)をくれる。まあ,前にももらったことがあるので知っていたのだが。そのケースには

DATE/
TRAIN/

と書く欄があるので,せっかくだからサインしてもらう。

DATE/ H10.8.27.
TRAIN/ 8622レ 佐藤恒夫(豊橋運輸区)

豊橋運輸区の佐藤さん,楽しい旅をありがとう。ちなみに,前は 1995.3.29.に伊那松島運輸区の小林守車掌に名刺までもらったのである。そんなことがあるから,またさらに飯田線のファンになるんだな,これが。

16:35に豊橋着。到着後すぐに車庫に引き上げるので,それを見送ったらあとは帰るだけ。16:53の快速で米原19:11着,19:21発のはずの新快速は5分ほど遅れてやってきて,京都20:16着。京都駅から帰る場合,ふだんなら東福寺から京阪に乗るか,七条京阪まで歩くんだけど,今日はもう疲れたからおとなしく丹波橋まで近鉄に乗り,京阪に乗り換えて21:28寝屋川市駅着。朝からほとんど乗りっぱなしの一日でございました。

この6日間の旅でのJRに乗った距離はしめて 4524.1 キロメートル。ご愛読に感謝。


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