みならいの放浪記 1999 如月・第5回
〜名鉄の奇跡〜

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1999年2月25日の朝,モーニングコールに頼らずに目が覚めた。予定より30分早い。こういうときは,ホテルでぼんやりしているより一本早い列車に乗ればあとで得できるな,と思ったのがある意味悲劇の始まりであったに違いない。

6時10分頃ホテルを出て,大垣駅まで歩く。迷わなければ確かに駅まで20分で着いた。ここで,朝食を用意していないことに気付く。駅にはパン屋とミスタードーナツがあるが,営業は7時からである。仕方がないので駅の売店でパンを買ってかじることにするが,何を血迷ったか「ミルクパン」を買ってしまう。ミルククリームがはさまったパンかと勘違いしたのが問題なのだが,実際は生地に牛乳を混ぜて作ったパンで,いわゆる「パンの味」しかしないのである。ホームでミルクパンをかじり,持参した水筒のお茶を飲む。侘しい。

6:42発,近鉄養老線揖斐行は3両ワンマンで,定刻7:06に揖斐駅に着いた。家にあった日本地図によれば,川をはさんだ町の反対側に名鉄の本揖斐駅がある。名鉄の揖斐線は本数が少なく,次は7:42で,その次は1時間後。できれば7:42に乗りたい。ただ,それ以上下調べはしていない。

目の前にバスが停まっている。行き先は「広瀬」で,私には「広瀬」がどこにあるのかわからない。駅の地図を見たら,本揖斐駅は地図のはじっこに載っていた。そこへ行く道は一部地図の範囲からはみ出しているので正確な道のりはわからないが,なんとかなるだろうと歩き始める。

しばらく歩くとバス停が現れた。覗き込むと路線図が描いてあって,広瀬はかなり遠いということがわかった。広瀬行きは目指す本揖斐駅の3つ手前のバス停から別の方向に曲がっていってしまうこともわかった。そして,本揖斐駅までバス停6つ分ほどもあることがわかった。思ったより多いのだが,たぶん街中なのでバス停がたくさんあるのだろう。さらにてくてく歩いていると,さっきのバスが追い越していった。見送ったら,側面には「名鉄本揖斐駅経由 広瀬」と書いてあるではないか。しくしくしくしく。

行ってしまったものは仕方がないので,てくてく歩く。思ったより遠い。残りバス停3つ(すなわち広瀬と本揖斐駅の方向へ分かれる三叉路)になったとき,時間はあと10分。無意識のうちに小走りになってくる。その上,小雨である。歩道の溝のふたに「オアシス運動」と書いてあって,「おはようございます」「ありがとうございます」「しつれいします」「すみません」とあるのが,さらにイライラの元になる。それでも,なんとか発車3分前に名鉄本揖斐駅にたどり着いた。これで,当初の予定より1時間早くなったことになる。

ホームには,高校生がたむろしていた。そこに,列車が到着した。

がしかーし。

その「列車」は,たった一両だった。いわゆる路面電車という感じでワンマン運転。しかも車両は木造。ぉぃぉぃぉぃぉぃ。名鉄おそるべし。ごとごとごとごと。よく揺れる。旅情満点,といえば聞こえはよいが,さっきの近鉄との差に驚いたのだった。

7:51黒野着。5分の接続で谷汲行きが発車する。この列車も同じく木造,一両,ワンマン。8:19に谷汲に到着。列車はすぐに折り返すが,それでは味気ないので周辺を観光する。谷汲といえば,谷汲山華厳寺。1キロくらいの参道を歩く。参道の両側には土産物屋が立ち並び,さぞかしにぎやかな/うるさいことと思うが,まだどの店も閉まっているので快適である。保育園のバスがブーンと追い抜いていった。

山門をくぐると,近所のおじさんと思われる人たちが掃除をしながら,不審者を見るかのような目付きでこちらを見る。本堂で参拝をして帰るまで観光客とおぼしき人にはついぞ会わなかった。もちろん,朝早いのがその理由である。華厳寺は西国三十三番札所,すなわち最後なので「満願そば」などというメニューが並んでいるが,空腹の私(ミルクパン1個しか食べてないことを思い出そう)を満たしてやろうという店はない。ちょっと道を入ったところに郵便局があったので,資金を下ろす。しかし,食糧は手に入らず,仕方がないので自動販売機で100%アップルジュースを買ってエネルギーを摂取する。

谷汲を9:18に出たワンマンカーは,来た道を引き返して9:40黒野着。5分の接続で新岐阜駅前行きが出る。新岐阜駅前,とは妙な名前だが,この路線は岐阜市内にはいると路面電車になり,名鉄のいわゆる鉄道の新岐阜駅の目の前の道路に着くのである。こちらは最新鋭の路面電車で,さっきの列車との差がものすごい。

忠節から併用軌道(要するに道路を走ること)となり,私は時計を気にしだした。時刻表では徹明町という駅に10:19に着くことになっており,10:20発の列車に乗り継ぐことができれば当初の予定よりさらに1時間早くなることに昨晩気付いたのである。道路を走るから信号の色の具合によって到着時間には相当の誤差が見込まれる。ひょっとして早く着くかな,との期待は見事に裏切られ,10:20に徹明町に着いた。見ると,交差点の向こう側に「日野町」と書いためちゃくちゃ古そうな電車が停まっている。あれに乗りたいのだが,もう20分だから無理だろうな……

と思いながら,とりあえず歩行者用信号にしたがって交差点を渡る。目指す電車は道路の真ん中に停まっているから,もう一度横断歩道を渡らないとたどり着けない。しかし,こんどの電車には車掌が乗っていて,こちらを見ている。そこで「待ってね」という意味で手を振ると振り返してくれた。かくして,私はなんとか0分接続の電車に乗り換えることに成功したのである。

このあたりの名鉄の構造は非常に複雑で,私が乗っている電車は

徹明町 10:20 → 競輪場前 10:32 → 野一色 10:38 → 日野町 10:45

と走る。一方,

新岐阜 10:15 → 競輪場前 10:32 → 野一色 10:35 → 日野町 10:42 → 新関 11:13
(新岐阜と新岐阜駅前は別である。念のため)

と走る電車もあって,私はこれに乗り換えたい。可能なような,不可能なような。なにしろ,大部分が併用軌道なんだから,すぐ渋滞なんかでダイヤが乱れて接続しなくなりそう。

そしたら,車掌は言うのである。「新関方面は野一色でお乗り換えです」。で,どうなるかと見ていたら,競輪場前の停留所についたところで,ちょうど向こうから新岐阜発の路面電車がやってきて,こっちの電車のすぐ前を走ってゆくのである。野一色の駅はちゃんとしたホームがあって,両方の電車が停まれるスペースがあり,乗り換えが済んだことを確認してから前の新関行きが発車するという次第。非常に緻密な計算の上に成り立っているわけだが,渋滞なんかに巻き込まれることはないのかしらん。

新関ではこれまた絶妙,2分の接続で美濃行きが発車する。実は,今回の旅の目的のひとつがここで,新関〜美濃間は3月限りで廃止になることが決まっている。利用者の減少に加え,長良川鉄道(もともとは国鉄の越美南線だったが,廃止候補に上がって第3セクターとして存続)がほぼ平行して走っているという理由から廃止となるのだ。

これまた,道端(実際に道の脇であるし,道との間に柵すらないというのどかさである)をのんびり走って11:30に美濃着。実は,この間は1時間に1本しか走っていないので,今回の行程を考える上で「当初より1時間早い」とか「2時間早い」というのに意味はあるが,「30分早い」というのは意味がないのである。廃止対象路線のうえに,1時間に1本では利用者はほとんどいないか,それでなければマニアがたくさんいるのがふつうなのに,なぜかここは観光客のおばさんたちで盛況だった。毎日この調子なら廃止しなくてもよさそうなものなのに。

美濃駅には駅員がいて,硬券の入場券も売っていた。要するに,元から廃止する気で合理化をすすめていないということか,もしくは惜しんで来る人たち相手に商売する気なんだろう。25分の滞在で折り返し,新関から新岐阜行きに乗り継いで来た道をもどる。ただし,今度は競輪場前から徹明町へは行かず,新岐阜へ向かう。

田神の手前まで路面を走っていた電車は,車庫のある田神駅に到着。なんと,ここから名鉄各務原線(かがみがはらせん)に合流して,鉄道の(各)新岐阜駅に到着するのである。たった1駅ではあるが。で,(各)新岐阜ってのは何かというと,新岐阜駅の前に路面電車の新岐阜駅前駅があるというのは先に説明したとおりだが,新岐阜駅は名古屋本線のホームと各務原線のホームが別のところにあって,その間を連絡階段が結んでいるのである。どうがんばっても名古屋本線と各務原線を車両は直通することができない。よって,運転上は各務原線の新岐阜駅の方を(各)新岐阜と呼んで区別しているのである。

まだ13:07,この日はまだまだ続く。


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