みならい,橋を渡る旅

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なんか初めの予定とぜんぜん違う智頭急行初乗り(?)の旅の翌日である1999年10月20日水曜日兼鉄道の日記念乗り放題きっぷの有効最終日,みならいは昨日とほぼ同じ時間に家を出た。

京阪電車に乗って京橋で降りるまでは同じだけれど,今度は天王寺に出て関空快速・紀州路快速の関西空港・和歌山行に乗り,和歌山を目指す。今日の目的は和歌山県西牟婁郡串本町にできた橋を渡ること。

串本町といえば本州最南端の潮岬があることでも有名だが,「ここは串本,向かいは大島,仲を取り持つ巡航船」の串本節も著名である。この歌の通り,串本の中心部のすぐ向かい側に大島(紀伊大島ともいうらしい)があり,その間を巡航船とフェリーが結んでいる。いや,結んでいた。

しかし,このたび「くしもと大橋」という橋ができて,ついに串本と大島は陸続きになったのだ。その一方で,巡航船とフェリーはその役目を終えて廃止されたという。そんな串本を訪れてみたい。


実は,大島には昔行ったことがある。それは1991年の8月12日。家族で夜行列車で串本に来て(といっても,3時半に降ろされる。釣りに行く人たちご愛用の列車だから)暗い中タクシーで潮岬まで行き,始発の巡航船で大島に渡った。そしたら港のところに郵便局があって,35局目の旅行貯金をしたという記録が残っている。ちなみにその日は新宮で泊まり,次の日に紀伊半島を縦断するバスで帰ったはずだ。


天王寺から和歌山まではほぼ1時間。9:20 の紀伊田辺行普通に乗り換えて 11:10 に紀伊田辺に着いた。まだまだ先は遠い。11:11 発の新宮行普通は,噂には聞いていたけれど,この間のダイヤ改正で車両が変わっていた。これまでは国鉄時代は急行として走っていたクロスシートの 165系 という車両だったのだけれど,ロングシートの何の変哲もない国電車両 105系 になっていた。終点まで乗るなら2時間半ほど,ロングシートはつらいのではないだろうか?

私は 12:34 の串本で下車。家から5時間半ほどをかけてやっと紀伊半島を半周したことになる。やっぱり紀伊半島は大きい。いや,普通列車が遅いのかもしれぬ。

駅前の食堂で鰹の刺身,アジの干物の昼食として,駅に戻る。今日はレンタサイクルを交通手段として使うつもりである。ママチャリとマウンテンバイクがあって値段が違った(もちろん後者が5割ほど高い)のだけれど,走りやすさを考えてマウンテンバイクを借りることにする。ちなみに,JR利用者は少し割り引いてくれるのだが,JR以外で来て自転車を借りる人などいるのだろうか?!

イラストマップをくれたのだけれど,その地図には大島が描かれていない。主要駅につきものの周辺地図には大島は描かれているが,橋が描かれていない。思ったよりぞんざいな扱いである。まあ,当初の予定どおり潮岬を一周して大島へ渡ることにする。ついでに,近くにある郵便局もいくつか訪問しよう。

まずは駅の近くの串本郵便局で476局目の旅行貯金。8年間で440局ほど回ったわけだ。大人になったなぁ(笑)

それから潮岬のある半島の付け根を横切って串本二色簡易郵便局が447局目。局員さんが「こんなところ,いちいち自転車にカギかけなくても誰も取っていかへんわ」という。確かに,歩いている人とかがほとんどいない(通りかかるのは車ばかり)なのでこの指摘は正しい。ついでに言えば,JRの番号つきレンタサイクルを盗んでも仕方ない。

ここの局員さんによると,大島には郵便局が2局あるらしい。港のところに大島郵便局,そして島の中心部,橋を渡って右に行ったところに須江郵便局とのこと。

潮岬を目指すのだが,いきなり大誤算。

ものすごい急な登り坂

なのである。なにしろ,変速機構満載のマウンテンバイクをもってしてもこぎながら登れない。イラストマップには等高線など描いていないし,昔来たときはタクシーだから凹凸なんか関係なかったわけだ。マウンテンバイクにしてよかったと心から思いながら,自転車を押す。登りきって平らになったと思ったら,今度は

道路工事で路面がボコボコ。

つくづく,今日はついていない。それでも本州最南端・潮岬郵便局を発見し,くしもと大橋のエコーはがきを見つけて購入すれば疲れなんて。それから,8年前に来たときは朝早すぎて見学できなかった潮岬燈台を見学。目の前に180度ほど水平線が広がる光景を堪能する。

一息ついたら出発しよう。岬をあと半周したあたりにちょうどくしもと大橋が架かっていることは,さっき港から眺めてわかっている。よしゃっ。

あとは下るだけ……ではなかった。

道はアップダウンを繰り返している。今度はギアチェンジをすればなんとか登れる坂ではあるが,確実にヒットポイントが減少していく。かなり迷いながら出雲郵便局を探し出し,へとへとになってくしもと大橋のたもとにたどりついた。

この橋は非常に奇妙な形をしている。本州側からは,まず海の上の防波堤のようなところ(左右両側が海である)をしばらく走り,大島の手前にある小さな島を踏み台にぐるっと1周ループして高度を稼ぎ,海をまたぐのである。防波堤部分は平らだからこぎやすいが,ループの部分でまた体力を消耗し,やっとの思いで海上部分に到達する。

そこからの眺めは何物にも代えがたく,ここまでの疲れを癒してくれる。ホッとして休憩をとる。がしかーし。天はさらに我に試練を与えたもう(笑)

私は特定の宗教を信仰しているわけではありません。上のフレーズがもし何かの宗教でよく使われる言葉であったとしても,私にそのような意図はありません。

私は島に上陸すれば登りは終わりだと思っていたのだが,実は

島に上陸してからも一本道はぐんぐん登っている

のである。串本二色簡易局の局員さんは「橋を渡って右に行く」と言っていたけれど,そんな分岐はちっとも出て来ず,ただひたすらに道は高度を上げていく。私はというともうヒットポイントは残っておらず,しかも橋を渡ったところで精神的ダメージまで受けてふらふらと坂を登っている。いや,普段なら平気で登れる程度の勾配を,ヒットポイントがないせいでマウンテンバイクを押して登っている。

なぜそんなに登るのかと人は問うだろう。答えてやろうじゃないか。帰りは一度もこがずに本州まで帰れるはず。それを体験したくてマウンテンバイクを押しているのだ。

そして,島の最高地点までやってきた。周りのどちらを見てもここより高い山がない場所である。道は緩い下り坂。そして,やっと分岐が現れた。左,大島港。右,樫野。

やっと私は理解した。大島側にはループ橋に相当するものを作るスペースがないから,港の集落のある場所へ橋を掛けることはできない。だから,島の一番高いところに橋を架けたのである。

ここで左をとると,もちろん今まで登ってきた高度分すべて下って海抜3メートルくらい(と思われる)港に出る。もはやフェリーも巡航船もないから,帰り道はただ一つ。下った分だけ登ってここへ戻ってくるしかない。地元の人はほとんど自動車を使うだろうから,坂はあってもなくても同じなのだろうし,第一橋が架かったとたんに集落の位置が変わってしまうなんてことがあるわけない。

となると,私のとるべき道は右。須江郵便局で大島へ来たという証拠を残して,帰ることにしよう。大島郵便局がちょっと心残りだが,8年前に来たのだから許してもらおう。本当は樫野の燈台まで行きたかったのだけど,体力と相談しても無理だし,時間と相談しても無理だ。少ないながらもバスも走っているから,またの機会に訪れよう。がしかーし。

右の道は快調に下って行く。

またこの道を登って帰らなければいけないことはわかっているから,もう1メートルだって下りたくないというこぎ手の心境を知ってか知らずか,マウンテンバイクは喜んで下っていく。こぎ手の足は進むという意思表示をしていないにもかかわらず,下っていく。

5分ほど下ったとき,突然目の前にマークが現れた。須江郵便局がちょうど480局目となり,局員さんに励まされながら帰途についた。

須江郵便局での休憩が功を奏したのか,はたまた先が見えたからなのかはわからないが,最高地点までの登りを無事こなし,あとはこがずに下る。大島側の橋のたもとに東屋らしいものが建設途中だったが,記念碑はもうできていたのでその前で最後の休憩。ループ橋を勢いよく下り,その勢いを保ったまま本州に帰還したのであった。

列車の時間(と,レンタサイクルを返すべき時間)までもう少しあったので,パン屋で菓子パンなんかを仕入れ,海とくしもと大橋を見ながらかじる。海は蒼く,空は青く,大島は緑でくしもと大橋は白い。色の配置が絶妙なのだけれど,なにか淋しげに見えるのはその風景に巡航船がいないからだろうか。

巡航船の乗り場に行ってみた。イラストマップに「乗り場」と示してあるところには看板も何もなく,岸壁すら定かでなかった。橋を渡る旅,なんて浮かれていたけれど,本当の自分は橋ができる前にもう一度来たかったんじゃないか。ふと,そんなことを思った。


帰りは串本駅を 17:28 に出て,途中紀伊田辺・和歌山・京橋で乗り換えて23時過ぎに家に着いたが,途中はよく覚えていない。すっかり疲れて眠っていたんだろう。


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